5/6の記事にもありますが、武左ゑ門さんより「63年式用のトランクキーASSYがあるけど、64年式のASSYと交換できないか?」と云う旨のメールがあり、初めは「何のこっちゃ?」でした。
実は恥ずかしながら給油口のキーは63年と64年以降では違う事は知って居てもトランクキーは皆共通と思い込んでいましたので、「何のこっちゃ?」でした。
具体的な写真での解説があり、驚いてパーツリストを見て更にストック部品を見に行くと結果私は64年式以降を持って居ました。・・・・更に正規の位置で使って居ると思い込んでいたトランクキーの位置が上下逆さで間違いなく今使って居るシリンダーは64年式以降と判明し、ビックリしました。
急いで交換に応じたのは云う間でもありません。記憶では未だ学生時代の平成6年、横浜でニューイヤーをしていた頃埼玉の旧車の大御所Hさんから購入した物で話と武左ゑ門さんの写真にある値札の書体からHさんの字である事が判り確認するとそうだとなり、恐らくは私より大分前に買われ、平成6年当時「最後の売れ残り」と話して居り、学生だったのでかなり割り引いてくれたので2個買いまして、63年式用か64年式以降用かは全然判らず買ったのでしょう。
思い起こせばあの年解剖実習が終わり、突如剃髪して禅を組みたくなり頭を剃りあげ髪が大分伸び始めの時期かな?無論当時我が家の車に廃車証明書の書類が既に焼失して無くなって居たとは夢にも思わない時期でした。
話は飛んで今まで使った64年式以降用は平成18年に今回取り付け依頼した鍵屋さんに依頼して取り付けた事が記録に残って居ました。平成16年はクラシックカーレビューIN日本海の時とは違い、高畠ミーティングの観客のマナーの悪さに閉口し絶対鍵が必要となり、同時にドアノブのデッドストックを使い、当時手に入れられなかったリヤは○田さんに再鍍金して頂き本来の姿に戻し、平成18年のイベントに臨んだ事も思い出しました。
ある種新品の鍵やドア廻り部品を使うきっかけとなったのが高畠でした。もし日本海ミーティングだけしか出なかった等なら恐らく修理したかは微妙な所です(笑)
全く見た目は何一つ変わりません。63年式本来の姿に戻りました。
この様に山が上は日本車の特性で外車は山が下になるそうです。(ピンシリンダー方式の場合)
但し下の外車方式だとピッキングが難しいそうです。
山を上にして差し込みました。
当然開きますが、平成18年当時どうやって64年式以降用を取り付けたのか作業する直前まで「まさか内部のロッドを弄ったっけかナァ・・・?」と思い込んでいました。ですから作業はかなりの金額と時間が掛かると思い込んで今の時期になったのも理由に挙げられます。
確かにピンを調整したり云々は有って1日では終わらなかった記憶は間違いなく残って居ました。
こいつ、グローブボックスのピン調整か?と思いましたが、シリンダー交換入れて40分以内に作業は終わりました。実は他にも母屋とか自宅の玄関の鍵修理で2時間ほどの作業がありました。
この通り、グローブボックスも本来の63年用で開閉可能です。ハテハテ??と思ったら・・・・・
これが原因でした。上下逆さまに使うから裏の加工が必要だったのです。思い出しました、思い出しました。
あの時「何故純正なのに・・・・」と不思議だった記憶が蘇りました。
もはやこの鍵は63年式以外には使えません。或いは根性で64年以降に加工修理出来る方。
鍵屋さんの話ではグローブBOXのシリンダーとトランクキーのシリンダーが構造が違う点があるそうでこれが面白かったと話していました。
40年付き合ったこの車ですが知らない所もある物です。やはり40年も一緒となるとこの歌以外この車にはありません。
レストア後も何度離婚(スクラップ)を考えたか判りませんでしたね。今ではこの車でないと遠出は出来ません。VNY30はおっかないのであくまで通勤圏内以外は出せません。
記憶が正いならば昭和52年の6月~7月末にかけてから好きになり丁度とてもそんな年には見えない美人部下が生まれた年月で「Mさん生まれた頃の事は今もはっきりとしてんずぅ~。」とよく話します。彼女が生後1か月の頃は秋田は稲庭で今広島にいるボンネットバスの売店時代に乗ったし、藁小屋だった豊後高田のバスも伯父と見ました。