7/22に43歳で急死した親父ですが、当時実母が亡くなり僅か5か月でした。
義理とは云え両親、祖父は健在でしたのでややもすると極楽往生は暫時の間お預けだったかもしれません。
ピンク怪獣も仏具を触り仏様について少しずつ教えていきたいと思います。
曾お爺ちゃん、お婆ちゃんは3年程前遺影を撤去し額縁は処分しました。写真その物はお袋が保管していますので、捨てる事はありません。
曾お爺ちゃんより古い仏が親父ですが、やはり自分の夫ですから写真は仕舞いませんでした。
RS41を運転していた当時の写真がありました。
昭和47年ですが曾お婆ちゃんが亡くなり程なくした時期ではないか?と思います。
左がお婆ちゃん(当時51)親父(同28歳)お袋(同22歳)でした。
それと当時山形の繁華街の中学校に勤務していた頃この様な教師がRS41を運転していた訳です。
やはり高畠の見物人の証言通り「頭が禿げあがって」来ています。
既にRS41は運転していませんでしたが、昭和50年の写真参考までに。右が親父に実母=お婆ちゃんで当時75歳でした。(左の子供が私で2歳でした)
昭和47年親父がRS41で実家に帰った時お婆ちゃんは「お前が途中で川に落っこちて死んだりしないか冷や冷やだった。」と話したそうです。
お婆ちゃんは親父が運転する事は反対だったみたいで、「運転だけはさせないでほしい」でした。
オイオイ、三菱の元図工なんだけど。自動車が判る人とは思えないでしょ?この点でも三菱が嫌い。
運転したのは昭和47年3月~6月の3か月間のみ。
とは云えギヤが結構欠けていました。
誰かから聞いたのですが、古いとは云えクーラー付ですから当時の年配の教師から「高村センセーはお若いのに贅沢な車に乗られて居る。」とあったそうです。
それを後生気にしてか、クーラー付は絶対買わなかったです。
割と親父は周りの意見を気にする所があった様です。
それにしても今年は酷い天候だ。日照時間が非常に短く葡萄管理が大変です。
東京都に至っては何と8月に入って毎日が雨だそうです。いや~困った、困った。
今日は送りお盆ですのでそろそろブリキ玩具でなくともこの車で・・・?
因みにこの標識が気に入りましたので。
昭和47年頃の歴史を振り返りました。