フェアレディSRです。
以前も紹介しましたがこれは凄い話です。聞いた話では鍍金は当時のままで、ボデーは一度軽くオールペイントしたのみ、内装も新車時のまま・・・・驚異の未再生に近い個体です。
シングルナンバー付のSR自体凄いけど此処までとなると先ず無いでしょうね。山形の旧車は恐ろしい!の1コマです。
でも大きな欠点が一つあり、ミッションが駄目らしいです。シフト操作にクセがありギヤ鳴きもあるそうです。
此処まで完璧なSRが何故・・・と思いますが初代オーナーがジムカーナに参戦していたらしく、ロールバーを付ける位だったので結構激しい操作をしてギヤが傷んだそうです。
先程紹介のロールバーが見えます。
当初初代セドリックとかブルーバードのミッションが使えない物か?と思いましたが聞くと残念ながら全て使えずフェアレディZとかハコスカ辺りのミッション部品となるらしく気長に程度が良い中古のSRミッションを探すしか道が無いそうです。
因みに初代オーナーは現在もご健在で80代だそうです。職業は米作農家で、この車は元々欲しかったけども、高くて買えず(88万円もした!山形だと92万円)止む無くホンダS800に乗っていたけど、ある日山形日産の社員がこのS8に追突事故を起こし全損させ、その賠償としてこのSRで返済したそうです。
幸か不幸かの判断はお任せしますが期せずとして憧れの車が手に入りましたので、つい最近まで初代オーナーが乗って居り、恐らく高齢で運転できなくなり手放したと思います。その後2代目オーナーですが他にも沢山車があり持ちきれないとなり短期間で手放し、今年になり主治医がオーナーになりました。
米作農家の米蔵に有ったそうですが農村ではこういうスンゲー車が米蔵に有る話は多々あります。
お婆ちゃんの生家の元小作にもそういう農家が居り、冠婚葬祭用の高級車があり、家の門にはドデカイ赤松が植えられまさに「豪農!」でした。
地主は・・・ポンコツのクラウンとチッポケマーチ(悲)
ナンバーは「そ」の6000番台。年式は昭和43年式・・・・
話になりましたが昭和41年式のP411が同じ「そ」83-58が近くにあり新車時の保証書にもこの「そ」の6000番台が記入されかなりの確率で途中飛び番がありその時の陸運事務所の職員の気分で空いた所にテキトーに入れていた可能性が出てきました。
コンピューター導入前だと手書きだったので、職員がコッソリ希望に応じて希望ナンバーにしていた話が残されています。何らかの理由で欠番が出た時穴埋めしていた可能性があり昨年紹介したコロナRT50も昭和42年か43年だけど「そ ・653」なのでこれで合点しました。
因みに通常だと昭和43年は「な」に入りますし、登録が5月なので間違いなくこの時期は「な」の6000~7000番代が多かった筈です。
これは私の車のミッション。親父もジムカーナに参戦し若い教師何て給与は知れており義父のポンコツで走りました。その時の傷がこれ!
親父!頼むぜ!きちんと直してからあの世に行ってくれよ!因みに親父生きて居れば73歳。
と書きたかったけど、当然判る嘘!生きて居れば73歳以外嘘。もしジムカーナに出る位なら私のクラウンは遠っくの昔にスクラップ。
ま~ったく車に興味なし。運転はかなり苦手でした。
逆に苦手な人なのでメーカー想定外の操作が発生し予想できない損耗がある話を聞いた事あります。
特に破壊が激しいのが「オバチャン」全く想定しない故障や破損がありメーカーでもビックリするそうですよ。
何とも云えませんが損耗させるとすれば親父以外居ないので3か月+αで此処まで損耗させるので親父も長く乗るとヤバいかも・・・(怖)
機関系に関しては新車時と変わらない筈。癖は皆私ので統一。ロー半転がし運転の癖が付いて居ますよ!
記憶では親父はそんな運転はしなかったかな?彼が免許取得した昭和47年は既にそういう指導はしていないはずですから。