震災から1週間もして、全然ガソリン供給の目途が立たないと街中を走る自動車の姿も日に日に少なくなりました。其れが2週間ともなると日曜日にも拘らず自動車が走る姿は見られずまさに「ゴーストタウン」でした。
虚しく光る信号、まばらに歩道を歩く市民しか居らず、時折発生する余震が街を揺らします。毎日発生する余震ですから震度3程度では全然地震の揺れを感じなくなる状態になりました。震度4以上になったのは丁度大震災から1か月程してからで、(4月11日です)この時は全域停電となり、震災召集で出勤して居ります。それ以外は基本震度3以下でした。
震災2週間目の日曜日でしたが、市内のM石油(何処の石油卸売メーカーに属さないGS)にステンレス光する大型ローリーが居り、地下タンクに入れて居ました。ガソリンに臭いがプ~ンとして販売を開始すると思いきや、翌日月曜日でしたが、お得意さん限定での販売でした。
その為ホームセンターでは自転車が飛ぶ様に売れましたが、当家では昭和39年購入のツノダ自転車が有るので、最終的には買いませんでしたが、職場でも自分が高校時代に乗って居た自転車が・・・・と思い実家の物置を漁るとどれもが「残念ながら・・・・」が殆どでした。
この震災で町内の新発見も多く、歩いて知る新たな発見もあったのも事実です。