大沼デパートです。
実は田舎のデパートに過ぎないけれども、創業は松坂屋、三越屋の次についで古いのが大沼で当時は大沼荒物店で創業は江戸時代中期頃です。
但しデパートとしては歴史は新しく昭和25年7月に(株)大沼百貨店で昭和31年より大沼デパートになりました。その後昭和40年と46年に増床して今の姿になります。山形の顔とも云うべきデパートがやはりと云うかかなり深刻な赤字となりこの度東京の「マイルストーンターンアラウンドマネージメント(MTM)」とか云う投資会社より資本提携を受ける事になりました。
一先ずは倒産は免れ従業員300名近い人員を誰一人切らずに再生を果たせる運びです。
但し安定したら経営権はMTMに移りますので後輩は経営者から外れます。とてもいい後輩で「円淨先輩!」と違う部活にも関わらず声を掛けてくれました。
この建物古びては居るけど好きなんです。これが無くなったら「俺は泣くゾ!大沼、頼んだぞ!」と思って居ました。因みに彼も社長になれば八右衛門に改名されますがそれは叶わないみたいです。
予定としては商品開発として「山形でないと無い物」を揃え、年数が経っているので耐震補強や改装などを予定しておりMTMが出資します。
後輩には悪いけど正直ありきたりの物で典型的な郊外店舗や仙台ではそちらが安い物が高くて売り上げが落ちて然るべきですな。
もっと親しい先輩後輩の関係ならば厳しい云い方だけど伝えたな。仙台ー山形間のバス運行は異常に感じます。あれだけ頻繁だと山形に金が残りません。
JRにせよバス会社にせよこの路線はドル箱。
この時代ならば確実に儲かりました。ホント市外地の目から見たら近未来を感じます。
実はこの写真の中に当家の親戚「笹沼玩具店」があり従業員も居ました。山形では最新鋭の玩具でお袋や叔母が遊んでいました。もし私が叔母であったら・・・きっとバンダイ赤函を買って貰うなりしただろうな。大盛屋とかも・・・RS41から颯爽と・・・あっ!お爺ちゃんは余り良いふりしたくない人だった!
それと謎だった大沼デパートの駐車場建築年が判りました。昭和47年(1972年)3月竣工でした。
となると以前書いていた「ザ~マス!」層はこの頃はBMWとかに目が移って居た時期ですね。
国産車はもう相手にしない時代でした。あっ!この時期親父がRS41を運転していた!
「ありゃ!ギヤがうごがねぇ~!」「何だて入らねぇ~!」そうしているうち「ガリガリガリ・・・!」
♪ほほえみ~ぃを広場で~、愛のお買い物~・・・
しあわせ~ぇを、あなたに~、大沼デパ~ト・・・
キンコ~ン、カ~ンコ~ン・・・・・
これ好きなんだよなぁ。
それと何だか知らないけど、このデパートがある学区からマツダライトバスAを畑に運んできたのですが、
キンコ~ン、カ~ンコ~ン・・・が畑の近くでしばし聞き同時にライトバスを思い浮かべちゃう?この歌とライトバスが被るナァ。
でもどうだったかな?私が未だ体が悪くないならバスは残って居たかな?処分する直前頃道路の除雪作業員が畑に雪を捨てて行ったのは良いけど、思いっきりバスにバケットをぶつけて逃げて行った・・・・。
お袋に話したら当時は現役だったので「市役所に云うのはやめなさい!」と云われた。それで諦めました。
昭和50年の定期点検ステッカーが残り良い感じなのに・・・。
それと大沼デパートは駐車場問題が以前からあり土地が確保できず狭くてRT40やP410時代サイズになった様子で不評でしたが平成25年には区画整理で七日町パーキングと併合されたのもあり、駐車場が不便になり顧客が離れたのも赤字へ転落する要因でした。
我が家でクラウンを買って2年後の時点で山形市内の5ナンバー車は3200台余りでしたが10年後は3万台オーバーで昭和60年には6万台以上となり全国平均以上の普及率になりました。
駐車場が確保できないは山形では致命的になりますし我が市でも同じ理由で潰れた店は無数にあります。