ホンダS500について。モデル発表は昭和37年9月の第9回全日本自動車ショーで展示され、翌年10月に発売しました。当初は360㏄と500㏄の2種類出しましたが、360㏄は実用上使えないとなり、トラックのT360として発売されました。(昭和38年8月らしい)
今らしいと書いたのは正式な記録が無いからです。本日紹介するS500もホンダマニアの間でも余り知られて居ません。
因みに私はホンダとかスポーツカーは興味が有りませんが唯一好きなモデルがS500と600ついでにフェアレデーSP310とスカイラインスポーツのみ。又私自身ホンダS500の助手席に昭和55年の夏乗りました。
黒塗りで山形55ナンバーでした。当家の北隣7件目のスポーツカー好きなアンちゃんが乗って居ました。現在は家主が変わり全然車に関心のない方が住んで居ます。
ホンダS500が知られて居ない事には理由が有ります。
先ずはS500。真一文字バンパーが私は好き。色は今ならこの色が一番合うナァ。実はこの車、赤も発売され本田社長が「此の車が消防車に見えるんか!」と怒鳴って赤や白の車の生産が認められました。(これもどういう経過なのかは不明です)
決定的に少ない事は販売時期がやたら短かった事です。一説には3か月、物によって1か月とかほんのわずかの時期だけでした。
確かにここでは昭和38年10月が発売とあります。(昭和38年7月の朝日新聞だそうです)多くがじゃぁ、S500は38年10月に発売だね!となりますが、そうでは無かった ホンダN360なんかは、欠陥車騒動の代名詞的な車を出して、「市販して欠陥を晒し出して改良する」が社長の考えですが、よく販売をずらす事にあの社長が同意しましたね!
此れがホンダS500が販売を遅れさせた動かぬ証拠!
昭和39年2月1日がS500の発売日です。
翌月3月にS600が発売された記録が有りますが、これも最近の調査では間違いとなり、恐らく39年5月が発売時期とされて居ます。その間S500のボデーにS600のエンジンを載せたモデルが有り、エンジンは4月にラインオフしたらしいので39年4月が通称「S5.600」が作られたのでしょう。(此れは20台のみで関係者に分配)
尚S500が販売延期した理由が日本国内では十分な性能であったが、海外でのテスト走行では、かなり課題が浮かび、後発のS600の方が良いとなり、S500はお蔵入りを検討したが、先程の朝日新聞の記事にあるホンダ初の4輪車を格安で販売する等大規模な宣伝をしてしまい、予約も入りメーカーとしてキャンセル出来なくなり、渋々予約分は販売したが正しい説では?との事です。もしかすると私が特に好きなS5.600は試にS5のボデーにS6のエンジンで試験走行した個体かも知れませんね、それで関係者だけとなったのでしょう。
此れも未確認ですがS6はフレームは昭和39年3月に、エンジンは4月に夫々完成し、生産体制がそれ以降だから5月に世の中に出るが自然でしょうね。
確か昭和39年はホンダがF1参戦を発表した頃で製造現場でも「オヤジさん(社長)無謀だよ!」と叫んで、混乱しながらの生産だったかも知れません。
此方はホンダS500と600が近い時期に発売となった証拠。こういう事もあり、S500は売れなかった。
此方は年式打刻制度廃止以降の車体番号記録。
此方ではマタマタ大きな謎を残します。ホンダS500は発売が終わったと思ったら、大阪府で11台登録されたと 記録です。ええっ?どうなって居る?