本日まさかこんな時間に決算記事を書くとは夢にも思いませんでした。先週まではオールオッズの記事をどう書くか考えて居ました。
台風と云うどうにもならない自然災害が相手では何もなす術もありません。
さて本日で関山旧道が86年に及ぶ山形ー宮城間の大動脈としての役割を終え、あれから50年になります。翌日10/1~今の道になりますが前回UP分で不足だった所を追加致します。
関山旧道に入るには現在だとここから入ると割とスムーズです。50年以上前(トヨペットクラウンデラックスが新車だった当時)は此処は山の中でした。
恐らく高崎小学校へ行く道は有ったと思いますが。
程なくして悪戸へ行く道が。
右が下悪戸へ左が上悪戸へ行きますが。50年以上前は存在しない道でした。
下悪戸へ行く道へ行くと度々出て来る杉林があり、そこが旧国道48号線で昭和38年よりこの呼び名に変わり、同時に現道工事が始まった年です。
左のせんだい道(前回の記事参照)をそのまま道なりに進むと、此処に出ます。当時も此処は存在し右へ曲がるとR48です。
目の前の建物は関山村村長であった村山和十郎翁の生家があった場所とされています。
ここは間違いなく現道完成以降山を削って出来た場所。関山は原宿です。やはりこの近辺は古い建物が有りません。
やはり関山旧道を走って感じる事は自動車走行には無理のある道である事ですね。良くぞ大型車がこんな道を走ったものです。
まして当時は山形ー宮城の道はR286もあったけど到底自動車走行には向かない道であり、関山旧道以外道がないも同じでした。R286の代替ルートは昭和56年より山形自動車道が出来て関山だけと云う事態は解消されました。
当時自動車その物は少なかったがパワーステアリングがない時代ですから運転は大変な物だったでしょう。
さて今年の決算。1㌔あたりのランニングコストは
約161円。年走は6291㌔でした。
恐らく原因はグリルモール鍍金だと思いますが、前任工場の整備料金がかなり高額だったと思います。