さて新元号は令和となりました。
今回は山形県の高速交通網の歴史を振り返ります。
平成元年7月26日:山形自動車道の山形北ー寒河江間が開通し、都市部に遅れる事四半世紀本当の意味での高速道路は未だ有りませんが、時速70㌔~80㌔までの速度で走る事が出来る自動車道が完成し開通し、山形新聞では高速交通網の幕開けと出ました。
その後平成3年7月31日同じ山形自動車道関沢ー山形北間が開通し翌年のべにばな国体に向けて首都圏と直結したと当時大喜びをしたものでした。山形自動車道もその後西川まで開通し一部はR112を経由しますが庄内地方までルートが出来ました。
東北中央道は平成10年以降から本格工事が始まりますが、一時公共工事の凍結で滞った時期が有りましたが、東日本大震災をきっかけに工事が再開され一先ずは平成31年4月13日までには東根市まで高速交通網が敷かれました。
この車は来る高速交通時代を見込んで開発されましたが、走る事なく廃車を迎えました。
然し10年余りの休眠期間を経て高速交通網を走る事となりましたが、オーバードライブが予想以上大きな効果を発揮しました。
未来の交通事情を的中させた作りがトヨペットクラウンデラックスではないでしょうか?