今年も巨峰の収穫が始まりました。一番いい物は仏様にお供えします。そのお下がりがお袋や妹、甥、姪にあげます。
こんなデッカイ巨峰は今まで出来ませんでした。この出来は100点満点です!
比べる物として。
彩良くナイヤガラもお供させます。
お袋、妹は巨峰をパクパク。姪は両方をすこ~し、甥はナイヤガラをパクパクです。
ご先祖様です。右からお爺ちゃん、お婆ちゃん、親父です。親父の遺影に小さい写真有りますが、右が亡くなる2か月前の写真。当時植えていたさくらんぼが青く生い茂って居ます。此れは私が植えました。
左が昭和60年の当時1年生担任で教え子と。まさかこの子たち、親父が2年後に亡くなるとは夢にも思うまい。
親父が亡くなり3年後に亡くなったひいお爺ちゃん。(平成2年104歳で歿)遺影は古い仏様であるが親父の遺影を中心にしたいとお袋が云い、ひいお婆ちゃんの遺影とともに仕舞いました。
写真は昭和61年の満100歳の総理大臣賞を受賞している所。当時100歳の男性はひいおじいちゃん入れて5人しか県内にはおらず、全国には男女合わせて2000人しか100歳以上は居ませんでした。
100歳生きたは物凄い話題でした。
数少ない親子の写真。写真右が植木等さん似の大叔父(今年4月2日91歳で歿)それと寝たきりに近くなる1年前のお爺ちゃんで当時満70歳。(平成3年75歳で歿)まぁ、トヨペットクラウンデラックスの初代オーナー-でもあります。
*この写真、実はYBCが敬老の日で100歳になったお年寄りのお宅訪問し、内閣総理大臣表彰のシーンを撮影しました。男性はひいお爺ちゃんが一番元気なので当家が選ばれ、市長から授与された所を撮影した筈です。取材が終わり家族だけになり、その時撮影した写真が親子の写真です。その翌年、山形県では男性最高齢になり、当時歩けて喫煙していたので話題性が強く、取材予定でしたが最高齢になって2か月して親父が亡くなり、取材は辞退しました。同時に煙草も止めました。
ひいお爺ちゃんは人前に出る事は平気ですが、息子であるお爺ちゃんはとても苦手でインタビューはイマイチで、ひいお爺ちゃんより体調が悪いイメージでした。それとお爺ちゃんは親父が亡くなり3カ月ほどした昭和62年の10月頃から寝たきりに近くなり、翌年のテレビには大叔父が出たと思います。