11/1にUPしました関山旧道ですが、この地図を見た所おかしいとなり再び訪れ何度も走り漸くはっきりした事が判りました。実はこの地図は現道をベースにして居り、恐らく現道工事等に伴い旧道が消えたり矛盾が出ている可能性があります。
先ずはこの地図をインプットして下さい。
地図の⑥の入り口ですが、(地図に写真有り)この通り走ると、⑤への道に入る事は出来ません。では何処に行くか?となると
100M走るとT字路に突き当たり民家にぶつかります。又⑤に行く方法は左折しか方法は有りません。道幅は3M程度で、果たして2級国道(当時)でもこんな道はおかしいと思います。
或いはそうだったとして、現道建設に当たり払い下げされて家がひしめき合ったとか?
⑥方面は地図をよく見ると社のマークがあり、此処に行くにはもう一つ別の道に行くしかありません。此方だと4M道路です。地図上では此処以外⑤には行く事が出来ません。
④の石碑群。やはり上の写真の神社脇の道に行くしか此処へは行けません。⑥は誤ったか、払い下げて当時は4M道路だったが家が立ち並んで地図と合わなくなったと考えるしかありません。
⑤の道路。現在は農道となりました。④へ行く道ですが、その先の下悪戸⑤の部分から①、②までの区間は現在道路が有りません。道路があった痕跡もないので不思議な区間です。
11/1UP分は④から左折して曲がりくねった道が地図で確認できますが、そこが旧道と考えるのが自然でそこで撮影して、トヨペットクラウンデラックスが新車時此処を走ったと推測しました。
不思議な区間については今後新たな書物等で確認していきたいと思います。(新事実判ればUPします)
先ず間違いなく此処は旧R48です。まさしくこの写真こそ昭和38年当時の国道走行シーンの再現です。今は舗装されて居ますが、此処は間違いなく当時は砂利道でしょう。当時をイメージする私の選曲はこれ!
http://www.youtube.com/watch?v=ncGtNmvKCng昭和36年7月20日発売です。ラジオからこの歌が流れたら最高じゃないでしょうか?関山トンネル工事開始は昭和38年10月からですが、6キロ先は新車で納車された頃は未だ工事は始まって居ませんでした。
試にODの使用は出来なくは無さそうでしたが、砂利道であった事考えると使うには無理がありそうだと見ました。タヌキが出ても不思議でない所です。
当時は乗用車は珍しく、多くが定期バス(大正13年より運用)、大型トラック、ダンプ、オート三輪程度でした。無論多くがアポロウィンカー付きでしょうね。そんな風景を思い浮かべるとよりこの写真が当時を連想させられると確信して居ります。
11/1のUP写真より雰囲気がよりあります。
撮影は晴れたお昼ですが、結構鬱蒼としています。公用で走る場合帰りは日が暮れてからでしょうから、心細くなる道ですね。
市長も運転手である大叔父も煙草をスパスパ吸わないならやって居られないかな?(笑)当然街灯なんて気が利いた物は有りません。
でも此処から当家まで10キロ程ですから「市長、漸く高村さんのお宅が近づきましたね!」の会話が出そうです。此の近くに古くからの日石があり、(今は廃業)ここいらでハイオク満タンでもしたでしょうね。
*休石:旅人が此処で腰かけるイス代わりの石と云う説がこの地図のHPにありましたが、(11/1の記事参照)実は葬式で棺桶を運ぶ際担ぐのが疲れて一休みする時、棺桶を置く大き平らな石があり、それの事を指しているのが正しいです。