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Channel: 高村円淨のブログ
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昭和39年5月19日の出来事(再UP)

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 故人の経歴を2年前の記事まで戻る事は大変なので似た内容を再UP致します。

 昭和13年2月に生まれ父親は戦艦大和で戦死(享年
38)で母親がお爺ちゃんの妹ですが、昭和26年肺結核により30歳で亡くなりました。両親が居なくなったとの事で当家で兄弟3人が過ごす事になり、故人が長男です。

 特に頑張ったのが私のひいお婆ちゃんで、「何としても育てねば!」の気持ちが強く、お袋や叔母が生まれると10人家族の状態でした。

 故人は幼少期から「ジェットパイロットになる。」が将来の夢で高校生になっても変わる事はありませんでした。小学生の頃なら兎も角高校生になってもとなると、当家としては絶対にこの夢は諦めて貰うより他有りません。
 パイロットにする為のお金が無いではありません、金は有っても空の世界は全く未知の世界故、そんな危険な世界に家族を出す訳には行きません。
 当時後の市長になる方がお向かいに、その2件裏には当時の町長が住んでおり、どちらの奥方と仲が良いひいお婆ちゃんは堅実な「町役場」に就職させるべくお願いしまして昭和31年に採用して頂きました。

 然し嫌で嫌で毎日がクサクサだったそうで、昭和32年に奇策を思い付きます。「航空自衛隊に入隊する」事です。今はこの道は閉ざされましたが(前回UPした「そこは青い空だった」にあるが飛行機事故が多発したので)一番金が掛からず、高卒者でもジェット旅客機パイロットになる近道がこのルートでした。

 さて夢の為には難関のひいお婆ちゃんをどう説得するか?まして役場に就職させてくれたので、大変です。そこで・・・「俺、自衛隊に入隊したい。3月で役場辞めさせてほしい。」と云いました。

 お袋もそうでしたが役場に就職するまでは「兄ちゃん、パイロットにはならないで!」と訴えていたので家族は皆「陸上自衛隊」に入隊と思っていたし、今もですが東根市神町に駐屯地があり自転車で十分自宅より通勤可能なので、「役場辞めるのは仕方ないね」でした。

 家族皆神町駐屯地に就職と思っていたら・・・採用通知書には「航空自衛隊」とありドエライ事になりました。
 それこそ近所からテレビを当家に見に来ていた人々が我が家の恐ろしい殺気にビビッて帰る状態だったそうです。特にひいお婆ちゃんは叔母の話では小さかったので何を怒っているかは判らなかったが

 「箒を振り回して兄ちゃんを怒鳴って追い出していた」と証言しています。想像はもう容易につきますね。お袋も当時7歳ほどでしたが、裏切られた気持ちでいっぱいだったそうです。

 あとこれはお袋、叔母の話ですが、昭和33年の夏に自衛隊のヘリコプターに手を振ると1機が当家のギリギリの所に下降したと記憶しており、この方ではないかと思われます。

 その後は音信不通で昭和38年の末になると(丁度トヨペットクラウンデラックスが我が家にやって来て半年の頃)「俺、結婚して子供が授かった、来年の東京五輪では国立競技場の上を飛ぶ候補になった、40年には日本航空にジェットパイロットに採用される予定だ。」と連絡があり、「それでは春に会おう、勘当は解いてやるので頑張れ」となりました。

 39年は我が家も忙しく5月になりました。そうして運命の5/19AM10:20頃松島基地を飛び立ったF86戦闘機は不具合がありそれが原因で岩手県宮古市の市議会議員(当時54歳)が所有する山へ墜落炎上し機体から遺体が見つかり殉職しました(享年26)

 当家に連絡が付いたのはその日の午後で、夕方にはあのクラウンで関山経由(当時はそれ以外ルートなし)で松島へ向かいました。(これは山形新聞にあります)

 最近お袋に聞くと「恐れていた事が本当になってしまった!」でした。お袋、叔母は昨年亡くなった大叔父とバスに乗って後を追いかけたそうです。

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