昭和40年11月まではこの様な悲惨な道路が国道でした。
延々と続く九十九折の道。小さく見える四角形の物体はし昭和37年4月より運行し開始した東北急行の東京ー山形間のバスです。
多分昭和30年代後半と思われる別の部分の様子。バスは皆山形交通です。
格差が凄かった東京五輪直前の東京。面白い歌が流れていますのでお楽しみください。
昭和38年撮影とありますが、恐らく残雪を考えると4月~5月かな?こういう状況なので昭和41年は開通する事なくそのまま廃道となりました。
新車から2年はこういう道を私の車は走りました。
当時はLLCではなく、真水だったのでオーバーヒート寸前だったでしょう。ここでは自慢のトランククーラーは使えません。
この写真は撮影時期は不明ですが、最新の時期となると昭和7年。これが初代栗子隧道です。
馬車が走れる隧道と云う事で工事開始したのが明治11年の事です。
初代と2代が並ぶ坑門が有名な栗子隧道ですが、タマタマ西側へ曲げて掘ったのでこの様な坑門になりました。数十メートル進むと2代目と合流し、福島へ繋がります。新車当時私のクラウンもここを眺めた筈。