今夏行われた元町ー代官山間の430キロドライブに参加した車の中には感動的な修理をした車も含まれていました。こういうヒストリーある車の話は感動します。
ナンバーを切った昭和63年1月8日、スクラップを考えたけど思い止まった平成9年の末、納車され車庫に戻った平成10年4月、レストアが終わった平成14年9月21日のあの日、エンジンOHが終わった平成20年10月・・・・
下の動画を見て皆蘇りました。
今は静かに忍び寄る私の体の劣化を考え65歳を境に手放す考えになりました。やはり体が比較的しっかりしている時期に手放したいと思います。
ナンバーを切ったはやはり一番危機的でしたね、「これからどう生活していくか道筋が立っていない。」と云うのですから。ピンク怪獣が生まれて判りましたが、親父の預貯金は僅か、保険は全く入っていない・・・・・。
昭和58年の痛手は大きかった。一代成金の末路とはこういう事なのですね。
今お袋は好婆になりましたよ。
この動画は5代目クラウンのMS105かな?私が若い頃乗った車と全く同型で3代目の車です。
役場の運転手さんだった方みたいですが、町長の公用車として10年使ったのち26年間乗りある日突然動かなくなったと云う所を見ると、多分インジェクションか燃料ポンプでしょうね。
恐らく公用車の特性から現在25万~30万キロ近く走った個体だと思います。
この頃のM型エンジンはそれだけ大切に扱えばそうそう簡単に壊れるエンジンではない筈。でも一寸気になったのがリヤバンパーですね、大阪辺りで修理出来ないべがねぇ~。因みに親父はバンパーの角、側面をぶつけて著しい変形がありました。
因みに我が市の公用車はクラウンRSD、我が家のRS41をたまに借りて昭和43年にデボネア、途中は忘れたがクラウンJZS131になりました。最近エスティマになったみたいです。
尚デボネアは20年前まで知り合いの市議が払下げを受けて大切に乗って居ましたが、部品難で手放しました。無論トランククーラー付でしたよ。
最後に多分長年連れ添った奥様を失われた様子で、もしこのまま修理出来なかったら、オーナーさんも後を追う様に亡くなられたかも知れません。(次女の方のコメントで特に引っ掛る点がありました。かなり危なかったと思いましたよ)調子よく走るならばオーナーさんはマダマダ元気でしょう。