である「栗子国道」を見たいと思い調べたらありました。http://office.ncv-y.jp/log/?l=412659
YOUTUBE画像ではないし中々此処まで持ち込むのも大変でしたが自分自身がこのページを開くと見たいので今回のUPです。
何と云っても貴重な旧道時代の画像があり当時は未だクッキリと初代坑門が残っており、内部から撮影も難しくない時期であった事も判ります。
氷柱の映像が有りますが、恐らくは我が故郷を経由した所にある二ツ小屋隧道内部とみて間違いありません。やはり隧道内部は電燈はありません。
この当時は中野山隧道も福島側に有りましたが、現役当時から土砂崩落があり昭和42年に地元の採石業者に払い下げられ事業中に解体し今は残存しません。但し一部土砂に埋まった橋などは残って居ます。
注目は東北急行バスのハンドルさばきと警笛ですね。とてもじゃないけど新人ドライバーにはこの様な道は運転できる代物ではなく、改めて険路だったと認識しました。
知らなかった事として現在の栗子ハイウエイを工事した際結構犠牲者が出ている事です。(慰霊碑の映像)
私の知る範囲では初代の工事では負傷者は出したが死者はゼロ(疑わしいが)その改良工事(2代目)では4名(福島出身者が3名、山形出身者が1名)でした。
特に山形出身者の場合もうすぐ工事が終わる昭和10年3月で金型を外す際一部が崩落してN.Yさんの体に落下。直ぐに引き出され外傷がない様に思われたが程なくして「うっ・・・」と云う言葉を残し亡くなったそうです。
他にも大雪で鉄筋を運ぶ際電線の下から鉄筋を通して運ぼうとして感電死した、大岩(110t)の下敷きになり煎餅状になっていた、トロッコ事故が死者を出した事故です(この3件は二ツ小屋隧道近辺でした)
旧道はこんな車や
あんな車が走った事でしょう。然し当時は乗用車は殆どなく大滝集落の若者は悪戯をして(幽霊に思わせて)これ等に乗ろうと遊んだものでした。
これも画像を見れば理解できます。こんな酷い道ですからねこれが東京五輪当時は一級国道だったのです。