東根市沼沢より西の今は全て現役であるが、本日は昭和20年代後半~R48から格下げになるまでの道を紹介します。
昨日UP分は多分昭和20年代後半までが関山と栗子から繋がる道の合流点ですが、本日は恐らく工場誘致等で出来たであろう昭和になってからの道です。
現R13から西へ直進する事1キロ程度で此処に辿り付きます。
日東ベスト(食料品製造工場)とその隣にはエムテックマツムラ(元は松村製作所)があり昭和29年より操業ですから、恐らく工場用地として区画してここが昭和38年にR48に昇格した時同時にR48となったでしょう。
上手くは撮れなかったが、写真左の民家はどう見ても昭和30年代建築と思われます。ですからまず間違いなくここは昭和30年代R48とR13を繋ぐ重要路線であった事が証明されます。
ここから2キロ以上反対の東進した所。
新原崎橋ですが、竣工時期が不明。と云うのが銘板が剥がされ判らないのです。多分2~3年前に銘板が盗まれる事件が多発し犯人は逮捕されたが余りの多さに何処の橋は出せないレベルでので、多分ここも盗まれたのでしょう。
この橋の竣工年が判れば何時頃原崎ルートが今の道になったのか判るけど、今は推測で昭和40年代前半かな?としか考えて居ません。
こちらは旧の原崎橋。老朽化から平成26年3月にかけ替えられました。確かここはかなり古いコンクリート橋だったけど??少なからずここも関山街道(昭和38年から旧R48)でした。
本日紹介ルートがこの車が新車時から旧道末期まで疾走したのでしょうね。昨日UP分はたまに走ったかな?
大叔父の性格から無駄な運転はしないから本日UPのルートが殆どでしょう。
ここを走り以前紹介した沼沢ルートへ入り仙台へ行ったのでしょうね。
となると、仙台ー天童間のルートは基本今もそう変わらないルートである事は確かです。
それとこのルートで廃道になったのは東根市の休石から大滝の「かつらざわ橋」を前後に囲んだ区間と旧関山隧道を前後に囲んだ15キロ区間程度です。
小山田新道の様な完全歴史の彼方に消えたルートはなかったとなります。