ワンオーナーなのかは聞きそびれましたが見事な未再生車でした。ペイント補修も刷毛塗りで部分的に見られてそれが良い味を出していました。
オーナーはナンバーだけが都民ではなく本当に多摩地区から自走参加の方で結構な年配の方でした。又イベント後仙台から女川の旅館まで行って1泊するとの事凄いですね!
鍍金も含めて未再生です。勝手に多摩ニュータウンに移住した方がマイカーもこの地で新車購入したのかな?と想像してしまいました。
因みにこのオーナーとお友達のオジサンですが、結構なベテラン旧車マニアでオーナーではない方は初代ブルーバードの会の会長さんみたいでした!
何処かで見た事あるなぁ~、と思って居ました。
無論展示用「ナンチャッテ」ナンバーではない正真正銘のナンバーです。
オーナーによると東京都に関してはそのうち「シングルナンバーに関しては旧車の自動車税を無税予定とか?それで段階的に旧車全般と行くそうな?
但しどこまで旧車とするかは不明なので確実なシングルナンバーとなる見込みです。
さて「す」ですので驚きました。年式はどう見ても昭和43年か44年ですから、ナンバーの経歴から「5」一文字は東京都全体で昭和37年2月20日までで、その後は「多5」になりハイフンなしは一律昭和37年5月末まで(参考まで全国共通)6月以降はハイフンが付き「多5」は多分昭和41年かな?2~3年で「多5」は一杯になったそうです。ですからシングルナンバー時代は「す」がスタートなので、山形で云うなら「さ」が昭和42年からに習った途中からの編入枠かな?と思います。
この車で驚いたのが「す」だったので驚きました。
*参考まで練、多、足そして品に分かれたのも昭和37年からで、陸運支局がそれぞれに誕生しました。ハイフンなしは基本的に品5は全ての枠が埋まってはいませんが気になる事が「れ」が存在することで「す」「せ」は見たけど「そ」以降は有りません。多分「れ」に途中で飛んだかな?都道府県によってナンバーの対応が違って居たんですね。
宮城県は「さ」はどうなったか判りませんが昭和42年は「ふ」で、順番通り。山形はじめ登録台数が少ないところは昭和42年に「さ」が多いです。
フロントからはオーナーさんのお仲間が椅子を出して座って居りブログの性質上カットしています。