バンパーは平成24年以前まで使っていた物を取り付け公道復帰です。
流石テクノアートさんだけあり、若い方が鈑金担当でしたが、一目で「どうもおかしなバンパーだ」と見ぬいていました。(取り付け前で、作業台で事故バンパーと比べて)多分ですが、以前のバンパーはフロント含めて社外品だったと思います。
取り付け出来るけど隙間が大きいのです。手に入れた17年前は兎に角情報が無くて得体のしれない程度の良くないRS40型でしたがそれしか頼る物が無かったのです。大分あちこち弄られた個体で平成元年まで現役でした。(でも書類は紛失)
一見して判りません。ナンバー灯はわざと社外品使いました。やはりこのままでは絶対示談には応じられません。又研磨師としては恐らく一番若い方だと思われる○田さんだと思うので、将来を考えるとそれ以上の腕を持つ方は望めないので後でゆくゆくとされたら手遅れです
撮影当時ははお寺の仕事があり撮影はこれが精一杯。(世話人会総会の時間が迫っていた)その後も何かとあったので、此処までとします。
ここからはテクノアートさんで警察に提供した写真です。どうやらぶつけられた時上に押し出されたみたいです。多分加害者はパニックになったかな?
同じ事故が今使って居る社外品ならばパネルには傷が付かなかったでしょう。隙間がある分余裕がありますから。
写真に左側は有りませんでしたが、こちらが大分酷かったみたいです(写真は右)
この時点では最悪な事態を想定しましたが、思った程ではなかったそうです。
やはりこのバンパーを治す以外道はありません。
以前のバンパーはあくまで仮の物。
左側に被害が出たのは、どちらかと書けば左側にぶつけられ、恐らくベース品がそもそもが左側に電柱(木製)にぶつけた過去があり、幾らか曲りが残った可能性があります。
隙間が無い分ここにも損傷が。
幸いTOKYOTOYOPETのステッカーは無事。ナンバー灯も無事でやれやれ。
*前回バンパーを見に行った時職場体験と云う事で中学2年生が来店されお手伝いして居ました。礼儀正しく清々しい感じでしたね。
私の職場でも同じ時期に職場体験があり、女子生徒4名来園でした。共通して4日程の体験ですから、私らの時代だと「クラス合宿」があった時期なので、それを廃止してその様な企画をしたのでしょうね。
丁度30年前の昭和62年の7月2日~5泊6日の日程で国立花山自然の家に宿泊しました。あの時試験的にこれまでジャージで寝るだったのがパジャマ等持参を認め、私は平気で浴衣を持参しました。
すると先生方は背丈が未だ生きて居た親父に近く当時は坊主頭でしたので「あれ?高村先生!」と云われ私はビックリしました。「な~んだ、円淨か。でも凄く似ている。」でした。これが忘れられません。同期生にも間違われましたよ。
その次週が期末試験、そして通信簿配布、翌日には親父が43歳3か月の寿命を全うします。
絶対的ではないけどこの年の5月に撮影した写真に学校の敷地にRS41があり寝たきりに近かった状態のお爺ちゃんが運転したとは思えないから親父が運転したのかな?車検切れ寸前の時期でした。
*それと取りに行った昨日イベントで紹介した初期型の喧嘩ワイパーのP510DXが修理で入庫し、話を聞くとどうやら普段のアシとしてこれを使い、他に年式は判りませんがヨタハチがあるそうで、そちらが遊び用だそうです・・・・!イヤイヤ・・・年式は昭和43年式で程度はかなり良いのです。
然しスンゲー度胸がある方ですね、