関山旧道と現道の合流口付近にて2人の男女が転落事故を起こして亡くなった日です。
この交通安全慰霊碑は翌年昭和42年に教職員有志が建立したとありますが、最近この2人は教職員ではないと云う情報が入りました。或いはどちらかが教職員かな?それと大手商事会社のカ○イの社員説もあり当時故人と同期だったと云う方の証言もあります。
こちらは関山旧道で聞く心霊現象には全く関係ないです。単に場所が場所で勘違いされている感があります。
こちらの事故もこの慰霊碑には関係なく、確実な証拠は有りませんが昭和39年9月22日の俗称「六条家一家死亡事故」の車である可能性が大きいです。
因みにこの車の持ち主は仙台市民ではなくその北の大きな港町でこの市から山形県で消費される魚の7割が届きます。
関山隧道が開通した直後と思われる昭和12年頃の写真。う後ろの自動車は恐らく乗り合いバスでしょう。
ナンバーは「宮」とあるので、戦前期から宮崎県にょり宮城県の方が登録車両台数が多かったとなります。
当然ですがこの車昭和30年まで生き残ったとして、車検を受けるとナンバーは強制返納され、「宮3」すのナンバーに変更です。
それは置いておいて、当時関山旧道は人馬が通行するには十分な道でしたが、自動車を走らせると欠点が露呈し自家用車が普及始めた昭和30年代ともなると問題だらけでした。
今日紹介した様な事故が多発しました。それと関山旧道で転落事故を起こして辛うじて助かった人の話では転落瞬間「なにか」を見たと皆証言しますが、これは何処で遭遇しても見るような・・・・????
旧道時代含めて移り変わりを見て来た我が家の車。
今山形県として課題にしている新規格の関山ルートをこの車は見ることができるだろうか?