首をなが~くして開通日を待ちました新栗子トンネルが平成29年11月4日の15時に開通し一般開放されました!本日11/5に早速走りました。
明治14年10月、当家は米澤藩を廃業し現在の福島市二ツ小屋近くの旧大平集落へ移住しました。
初代長太郎(本名)は当時30歳その3男助次(本名)は明治19年10月はそこに生まれました。助次が10歳前後の明治20年代1年の半分を雪に閉ざされる大平を家族全員で引っ越し、現在の長井市へ移住し反物屋を始めるが失敗し一家離散となり、奉公を経て警察官になりました。途中略して昭和25年今の居住地に初めての家を建て私が4代目。平成2年助次は104歳の天寿を全うしました。写真は助次が100歳となった昭和61年。
写真隣は助次の長男盛拓(私のお爺ちゃん当然本名)盛拓は翌年75歳で亡くなります。
この写真を持参して新栗子トンネルを走りました。
ここは東北中央道。此処まではガラ空きなんですが。
無料区間の米沢北以南は渋滞。マトモに走れません。原因は途中途中でヘッポコ軽四が馬力が無くて走れず渋滞を作ります。
こういう片側一車線では渋滞発生の原因になります。
高速道路ではないので最低速度違反は問われませんがこの程度しか速度が出せません。
山形県は高速道路がありません。自動車道路は存在します。
いよいよなが~く待ちに待った栗子4代目トンネルへ。
尚5キロ以上ですから危険物搭載車両はこのトンネルは走行できないので3代目栗子トンネル(昭和41年5月29日開通)を走行します。
無料トンネルとしては日本一の長さです。「はっくしちじゅうに」メートルと覚えてください。
3代目と比べて走行時キックダウン操作は一度もせず走行できましたが、ヘッポコ軽四の場合4人乗車した場合が結構渋滞の原因になって居ました。中には1人乗りでも渋滞の原因になった物もありました。
渋滞の先頭に6台程確認しました。
ここに入るにもノロノロでした。
トンネル内部ですが20キロ未満でしか走行できません。
県境近くになり漸く40キロ走行でした。帰りはアンマリ渋滞が酷いので3代目トンネルを経由で帰りました。
ずんつぁ!120年ぶり帰って来たぞ!
でも旧万世大路の頃ずんつぁは新車のRS41で走ったかも知れない(77歳~79歳の頃)
後記:実はこのトンネルの中で馬鹿な奴もおり、途中で強引に引き返えそうとしたドライバーが居ました。3連ホーンでお見舞いだ!隣の車線からもクラクションの嵐が・・・。RS41はオリジナル以上大きい音なのでかなり響きました。
流石に県境少し過ぎで何故か涙が流れました。我が家の様な商売に失敗した士族は警察官制度があり今日まで生き残る事が出来ました。当家も今年131年を迎え町内では最も古い家です。警察官制度がないなら今頃当家は有りませんでした。