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Channel: 高村円淨のブログ
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日本初のレコード歌手

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 佐藤千夜子(さとう ちやこ)です。明治30年山形県東村山郡天童町に生まれ昭和4年「東京行進曲」を皮切りに色々な流行歌を歌い昭和初期の流行歌歌手として活躍しました。昭和9年に単身でイタリアに渡り、その後帰国するが若手の台頭もあり思う様に売れず、戦争が始まり流行歌どころではなくなりましたが、戦後になると完全に忘れられた存在となりました。
 その後昭和22年には千葉県で教員を騙して大金を搾取したり昭和27年には余りの窮状にに戦前に本人が来ていた毛皮のコートを質屋で見かけ盗んで逮捕される事件を起こし芸能界を追放。
 その後東京都内で生活保護を受けて昭和43年癌の為71歳で亡くなり遺骨は天童市の市民墓地に葬られました。家族泣く生涯独身でした。
イメージ 1
 歌手として人気があった頃の写真だと思います。
 佐藤を題材にしたNHKの連続テレビ小説「いちばん星」が昭和52年に放映されると天童市民を中心に存在を思い出される様になりました。(脚本はライバルの私立高校の国語教師で結城先生)
 ピアノ線の世界シェアー90%を占める旧鈴木金属工業(株)の2代目社長村山氏の話では「私の同級生に佐藤千夜子さんの弟が居て、友人ですから会うのが楽しみ。」と話されていました。昭和60年当時の話ですが当時は千夜子を良く知る人物が天童市内に居たとなります。2011年時点では匿名書き込みで「母の父親が千夜子の弟」と云う書き込みもあり既にこの時点では故人となられたでしょうが、まず間違いなく市内に亡くなるまでいらっしゃったと見て居ます。
 何か実家の墓地に入れない事情が有ったのかな?

 この曲が「東京行進曲です」銀座カンカン娘(昭和24年東宝)の映画でも古今亭志ん生が「昔恋しい銀座の柳」と若い二人を祝すセリフにも使われました。

 
イメージ 2


 特に関係は薄いですが昭和52年、「いちばん星のふるさと」と云う看板が掲げられその下に以前書いたけど黄色いルノーの廃車がありこちらはSBガーリックソルト号と書かれた車両で黄色い塗装の下は赤色の塗色になっていました。
 これは昭和35年の企画ですが50台程こういう車輛を用意して暫くこのままで宣伝して貰い一定期間が過ぎたらこの車はプレゼントと云う企画らしいです。何でもこれはタク上がりの再生車だったとか?

 他にもPT20やダットサンP310等もあって「いちばん星」の思い出は昭和30年代半ばの車もその一つです。


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