今回の探索では「まさか!」と思う様な場所にこんな大物が居り大変驚きました。
それと昨年紹介したコンパーのベルリーナですが、耕作放棄地に有った物のオーナーさんが解体処分に出したと云う情報が入りました。
この個体は解体処分は先ず難しいであろう地帯に有ります。
豪雪地帯とあり結構痛んでいますが、その割には被害は少ない方です。
こちらにエンブレムが残って居ますが・・・やや?タイヤがない?
推測するにタイヤを付けたままだとかなり車が横に傾く為やむを得ず右側を外したのでしょう。
今も現役の物置でナンバーの所に手跡が残っていますので確実な証拠になります。
凹んだ屋根の対策でしょうか?中央に穴が開けられていました。
整然と置いています。几帳面な性格の持ち主と見ました。でも・・・・・・
現役時代となるとそうでもなかったと思います。
こちらは左側ですがLO.HI共に小糸でLOが今のタイプです。然し
右側は東芝・・・・アレレ当時の車検はこれでは通らない筈?民間車検場はパスしていた??たま~にこの年代でもあるんですよ、こういうタイプが。でもそう沢山はありません。
以前から書いていますが昭和57年まではライトは同一メーカーでないと合格出来ませんでした(異なるメーカーだとライトの寿命がどちらかが短くなるそうで、禁じていたのです。突然のライト切れ防止でしょう)
このタイヤは先ず間違いなく新車時タイヤですが完全なボーズ。リヤはダンロップの商用タイヤ。こちらは3分山でしたので多分走行距離は10万キロ前後の筈。
タイヤがバラバラは基本現役時代は余り大切に扱われなかった個体が多いです。
特に乗用車では古いタイヤは後ろが鉄則ですが、多分ライトバンなので後ろに重点を置いたのかな?
特に乗用車草ヒロで古いタイヤが前だとロクな整備を受けて居なかったと考えて良いでしょう。
写真には収めませんでしたが、元はとある商事会社の交通安全指導車だったそうで、(薄ら文字があり)恐らく払い下げを受けてからロクなメンテナンスを受けずに酷使されたと思います。