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Channel: 高村円淨のブログ
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3月10日の思い出

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 今日は山形県立高等学校の入学試験の日です。(1校のみ市立高等学校もありそれも10日です)このブログを見ている方のお子様、お孫様で受験生がいらっしゃいましたら、「頑張ったナァ!」と声掛けして頂ければ幸いです。
 さて、私は毎年この日別の思い出が有ります。同級生のk.kが何を思ったのか、母校近くの高校を受験する生徒に向かって窓のフレームに腰かけて「やめろずぅ~!落ちる!落ちる!」と大声で叫んで居ました。

 Kの馬鹿!と私は内心思って居ましたが、受験生が試験会場に向かい居なくなった直後、今度はKが窓から姿を消してどうした!と思ったらKは校庭に転落していました・・・・・!

 学校では親父を「お父さん」と呼んではならず「高村先生」と呼ばねばなりませんでしたが、それを忘れて「お父さん,お父さん大変だ、kが教室から落ちた!」と知らせに行きました。親父はあと4カ月もすれば亡くなりますが、(当時は親父の実母が亡くなり1か月、享年87歳)頭は当然禿げあがり、見る見る親父の頭が青くなり、担任は当然、校長、教頭、学年主任等も青くなり駆けつけました。

 結構親父の足の速い事当時42歳でしたが若い担任より速かったです。

 幸いKはかすり傷すらない状態で何事も無かったかのように立ち上がりましたが、親父の寿命が又短くなったのは確かです。

 親父の寿命を縮める事は私たちは結構しました。因みに親父は昭和44年より18年3か月教師をしました。

イメージ 1
 一見この話には関係ない写真ですが、この日を前後に今年定年を迎える教科担任(美術担当、中学校長で定年)の先生が、結婚したと云う事でそのクラスの生徒が先生にプレゼントと云う事でこの曲をプレゼント。
 

 土曜日のたまねぎです。この先生の愛車が写真のクレスタでした。何だって軟派な先生と思いましたね。親父なんかは基本ポンコツの自転車でした。たまにレストア前のトヨペットクラウンデラックスでしたけどね。
  *昭和62年5月の写真に私の車が母校にあったのでビックリでした。結構同窓生含めて先輩でも車に関心が有る方は親父は自動車運転免許が無いと思って居たそうです。



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