本日で震災から丸4年、当日は吹雪交じりでしたが、本日は20㎝はあろう積雪がありました。此れだけの積雪は一寸珍しいです。
何と云ってもあの震災で何度も襲い掛かる余震で、震度3程度では地震が発生したのか判らない感覚に陥った事は忘れられません。余震にも拘らず、昭和53年6月12日の宮城県沖地震と同じ規模の余震が起きて、家屋が潰れないと判った後はトヨペットクラウンデラックスに毛布を掛けるなどしました。私の車は昭和39年の新潟沖地震、53年の宮城県沖地震、そして平成23年の東日本大震災の中を生き残りました。
さて今も特に福島県からの避難者が人口6万人程度の小さな市でも結構な数の避難者がいますし、我が町内会にもいわきナンバー管轄地区からの避難者が居ます。
何と云っても福島の原発の事態が解決しないのでこれだけ長期化するのでしょうが、今までの大地震にはない現象です。今も市内で福島やいわきナンバーの車を見ない日はなく、不思議な感覚に陥ります。
それと本日の山形新聞にありましたが、最上地区でガソリン販売をした時、先ずは病院や福祉施設に優先して灯油を供給し、ガソリンもこちらを優先。全く油の供給の目途が立たず、結局は僅かに入っては制限販売して皆に平等に配布した結果、並んで待って直前で売れ切れた客に何度も胸ぐらを掴まれたりしたそうです。又これまでのお得意さんにも制限を掛けたので、通常供給後契約を打ち切られお得意様を失う事態に陥ったとありました。でもこの経営者は後悔はしていないとのこと。