この車を手に入れたのは2年以内の話ですが、売買価格は聞いてはいませんがかなりの高額だそうですが「これは仕方ないね!」と思う1台だと思います。
それとこの車一見すると昭和41年登録のナンバーですが当時の山形支局の事情もあり、順当ならば41年のナンバーが43年になって当てられたと考えるのが筋見たいです。新車当時の保証書も当然このナンバーだったので勘違いとかそういう物ではありません。
シングルナンバー時代は余りこの仮名だから何年と厳密に考えない方が良いのかも知れません。
レプリカではありませんので、このステッカーが貼られたから間違いなく昭和43年製造である事が判ります。
アラ探しをしましたが、私の車の様なダメージは有りません。
これは主治医がオーナーになってからのステッカーですがセンス良くまとめられました。
良く判りませんがこんなステッカーも当時有ったんでしょう。三國工業で交通安全啓蒙ステッカーをこの時代発行したんでしょうね。
こんなバッチも。特にSP&SRクラブバッチは私でも知って居ます。バブル期に良く見ました。
JAFバッチは出来れば「大阪万博記念」のバッチが良かった。
実はこの車当初致命的とも云える欠点がありました。2台目オーナーは旧車の価値を良く判る方で、内装は新車当時のままにしなければ価値が落ちる事も判っていらっしゃいました。所が・・・・
運転がとても荒かったそうです。今年に入り程度はま~ま~の中古品のミッションを手に入れたけどそれまでは癖が酷くて、ミッションは「青息吐息」の状態でした。
長距離運転するとクラッチがすり減りそうな悲惨な状態で到底運転が難しい状態でした。
但しエンジンはOHしてあったそうです。
あれ?話聞いて居て似た様な感じの人が・・・・プリンス〇4クラブのKさん?あの方が30年近く前よく雑誌に登場させていたスーパー6が似た状態でした。
ワイパーブレードは純正のエバーウィング。これも主治医の代で純正へ。
主治医が話していましたが、「オリジナル維持主義」の影響は高村クンと付き合ってから一層強くなったとおっしゃいました。
やはり最終的に旧車はオリジナルへ戻るも判ったそうです。私は43年の旧車バカ生活を続けオリジナル維持主義を変えた記憶がありません。