Quantcast
Channel: 高村円淨のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1734

私が一番初めに乗った

$
0
0
 車はこのダットサンB310です。
 何度か過去に書きましたが、昭和56年11月28日に購入した車で親父の最期の車となりました。色は一寸違いますが、懐かしい装備もきちんとあったので沢山撮りました。
 平成7年に2年車検が復活し次の平成9年の車検は継続できずヨタヨタと山形まで何とか走り、今スチューベンを植えて居る場所へ突っ込ませてそこでナンバーを切って平成20年3月に処分しました。
 鉄板の質と過去の事故が災いして平成12年辺りには朽ち果てて「お化けが出そうな車!」と近所の子供らに怯えられ、翌年に隣家からの落雪で余計傷んで更に怖い車になり、お婆ちゃんが「このまま残しておくのは忍びない。」と云い平成20年の鉄屑暴騰時全て運ぶと解体屋が云うのでそのまま運んで貰いました。
イメージ 1
 この色のベージュ色が当家の車でナンバーは山形56
 平仮名は忘れましたが「36-43」でした。購入は日産サニーの営業所で当時東京海上から転職で採用されたMさん(当時34歳)が担当セールスです。
 この方は後にサニーの店長になりますが、父親が亡くなりサニー販売店を退職し農業に転職し、数年前市議会議員に立候補し当選されました。今も現役市議です。
イメージ 2
 当家の車は1300㏄ですが同じグレードです。
 これも書いていますが、友人の父親で親父の上司であるH先生は同じB310のDXを昭和55年に購入され、何時だったか「俺の車はH先生の車より高い車だ。」と話し、時計も親父はキングセイコーでしたが「時計だってH先生の様な煤けた時計ではない。」と話していた事を思い出します。
 何をきっかけにその話したか忘れましたが絶対忘れる事が出来ません。
 実はH先生、親父同様ハゲ頭ですが息子であるY君も私も未だ髪はフサフサです。身長は私がずっと大きく(体重は尚の事(笑))ここは違います。

 今も理解できない事は親父は車には全く興味が無く、運転は大変苦手。クラウンクラスでも運転して居たら別だっただろうけど、B310すら傷を付けました。その為基本自転車通勤で卒業生の多くは「高村先生は運転免許がないと思っていた。」です。なので息子である私がカーキチである事に皆驚いています。
 そんな人が車を自慢するのが理解できません。

 唯、今書けるけど親父は教え方は余り上手ではないです。判る生徒には良く映りましたが、私みたいに苦手教科にしている者にはイマイチだったのです。
 その点H先生は教え方が上手く英語担当でしたが、成績は学年上位を維持できました。
 親父は7月、H先生は12月に亡くなりますが、その前にH先生が入院され代替で親父と保健体育のS先生が手分けで英語を担当しましたが、親子なのでS先生が担当になりましたが親父だったら成績が下がったかも??
イメージ 3
 それとSGLはこれが標準装備です。
 これが凄くカッコよく見えて、カローラKE20Dとの別れは辛かったけど、このランプが闇夜に美しく光る姿にそれを忘れました。無論スクラップの時これは残りましたが、今思えば外してスクラップに出せばよかったかな?
イメージ 7
 この熱線のSWが先程の写真でした。
 11月28日納車ですから、寒くてすぐさま実力を発揮し、みるみる曇りが取れて驚いた記憶があります。
 然しこのガラスは平成13年に隣家の雪が落雪して見事に粉々で屋根も潰れました。
 余計子供たちに怯えられ「いやだ~!」な車になりました。
イメージ 4
 このシート生地もSGLならでは。
 同じ色でしたね。実はリヤシートに購入から1年程度で焼き鳥のタレをこぼして中央にシミが大きく出来ました。
 これは解体時まで残りました(但しシート生地の多くがボロボロに朽ちましたが残った部分はシミが有りました)
イメージ 5
 給油口は右です。無論無鉛のシールも同じ位置。
イメージ 6
モールは早い時期に欠落し、多くが白色化しました。
それと歯科医になって直ぐの平成10年サクランボ泥棒を待ち伏せして助手席に潜伏。
すると泥棒が憎たらしい事にサニーに上がり、その音で飛び起きて助手席から飛び出したら、ドアがもげてしまいました。鉄板が朽ちていたからでしょうね。
イメージ 8
 同じ時期にSUNNYのエンブレムも白色化しましたが、一番早くこのリヤフェンダーが朽ちました。
 これも以前書いていますが、昭和61年私の担任のT先生が此処にミラージュで思い切り突っ込んで破損。ミラージュは右側を大きく損傷しました。
 周りの生徒は「高村の親父の車だろ?T先生こっぴどく怒られるな!」でした。よりによって珍しく車で通勤した日でした。
 親父は全く怒る様子はかったし、妻であるお袋にも「円淨の担任の先生がぶつけたので教え子の家のK鈑金に出した。」だけでした。お袋は黙っており何も云いませんでした。お袋も無頓着です。
 事故修理もアリここが駄目になるのが早かったですね。私が乗っていた頃も錆があった。
イメージ 9
 テールを廃車した時早い時期に分けたのでテールがなくこの部分も早い時期に朽ちました。バンパーは損傷があり、引き取り手は無しで朽ちて地面に落ちて居ました。これも質がイマイチだった筈。



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1734

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>