以前も紹介していますが、廃道となった大瀧地区に残る旧桂沢橋。
今回は撮影時間が遅かった事もあり、交通量が多く、旧道の名残を撮影するには交通量が多すぎて危険な為次回へ回しますが(現道から見てこう変わったを撮影予定)大よその昭和43年9月30日までのルートは見当が付きました。
桂沢橋の上にて。もう本当に橋が有ったのか疑わしい状態です。左端に辛うじて構造物が見えますが・・・。
ほぼ欄干が砂利で埋まりました。現在はすぐそばにある砕石所が所有しています。
ゲッ!実は砕石所の親会社が親父の分家に当たるゼネコンですが、S建設の車が何台か砕石所に居た!不味い!また伯父(82歳)に「馬鹿」呼ばわりされる!早く撮影しなきゃ!な事も重なりロクに構図を考えなかったのでこのへんで。
因みに今S建設ではR48の宮城県側の雪崩発生現場の工事等を担当しています。結構頻繁に砕石所に社員さんが見えられて居ます。社員の中にも分家仲間が居ます、ヤヴァイです。伯父は歴史を辿るは理解しないし・・・・。まして近代史はネェ~、此処から話が行くのですよね~、何分狭い土地だから直ぐ伝搬する。
橋の親柱。此処は昨年と比べ余り埋まって居ませんが、隣の竣工年月は相変わらず埋まったままで、こんな写真出しても仕方ない事とS建設の社員さんが多数なので慌ててしまし撮影せず。
此れが埋まる前の14年前の写真。私は10年前にこの状態を確認しました。昭和43年に廃道してメンテナンスをしていない橋ですから、これだけ過酷な環境ではそう遠くない時期に橋が崩落も・・・・。
此れは橋の直ぐ奥。橋を渡ると登坂路になったのでしょう。橋と比べかなり狭く感じる道です。
当時は自動車が少ないのでどうにかなりましたが、
本格的モータリゼーションが山形に来た昭和43年ではもはや危険路極まりない感じがしました。
写真の様に狭くはないにせよ、(砕石などで崩落して狭くなったのだろうけど)運転が大変な所ですね。
まぁこの道を私の車は走ったわけですから。