これからUPする記事のネタ仕入も兼ねて仙山線の交流について勉強してきました。
先ずは居ても立っても居られないダットサントラック123が41年間過ごした場所へ行きました。
私も此処に行くのは約10年ぶり。
かつて大沼パーキングが有った場所。
解体から5年ですが道路拡張事業は道半ばです。
話は変わって今回のセミナー会場の山形グランドホテルのすぐ隣に123は居ました。
東村山郡成生村を昭和43年5月に後をして、6月2日に123はこの車庫に入りました。
当時隣のホテルは建築真っ只中。
シルバーの車が入った所で123は41年過ごしました。
この建物は薄暗く当時宿龍院の十王堂に似た感じで柔道部だった私はほぼ毎日このシルバーの車の有る所へ自転車を乗り入れ「押忍!」と挨拶。
表示板も当時と変わらず。18歳までの日課でした。
社会人になってからは余り来なくなりましたが36歳までは何かとここに来ては居ました。9歳から36歳の中年になるまでこのトラックは見て来た訳です。
これは七日町から引き上げ直後。このまま雨ざらしは良くないと気をもんで、今のオーナーに引き取って貰う様に色々取り計らいました。
やれることはトコトン協力しました。その過程で元上司のお宅から流れた車であり、昭和43年に七日町に流れた事がハッキリしました。
123に「押忍!」の後はここに来て山交バスの山を見に行きます。本当にどうしようもない、馬鹿な高校生ですね(爆)
この画像が公に出た最後の写真ですが、実は今トラブルが有って入院中です。そろそろ退院しそうだとは聞いて居ます。
この時代(昭和44年)RS41はもはや価値が無い車でした。この駐車場でクラウンはMS50が幅を利かせ、角テールのR/MS41も少し色褪せつつありました。
これから原稿を纏めて本日の学習した事をUP致します。