今回は隧道、転台車、鉄橋などをご紹介いたします。
竣工は昭和12年。
仙山隧道は5361Mと当時日本で3番目の長さでした。
今でもかなり長いトンネルですが、当時工事の進捗状況はかなり捗ったらしく、短期間で掘り上げたそうです。
講師の話では山形県側の岩盤が柔らかかった事が挙げられ宮城県側が固かったそうです。
地層学的な観点でこの様な現象がありますが、ここは難しくて直ぐには理解できませんでした。
実は昭和12年まで開通が遅れたのには理由があり、技術的にこの様な長大トンネルを掘削する技術がなかった事と、仙台に行くには新庄経由で陸羽東線(大正6年開通)で線路を通す事が現実的でした。
上が坑門の写真ですが、下は信号所の写真。
信号所は山形県側にあり、柔らかかったのでこちらが選ばれたのでしょう。単線トンネルに信号所がある隧道は今でも珍しく、時折普通列車が停車して快速列車が通過する風景が見られます。
隧道工事の際の杭の掛けた方の設計図ですね。
無論5キロを超すトンネルですから開業当時から作並ー山寺間は電気でした。蒸気機関車でここを走れば乗員乗客共に皆死んでしまいます。
ここは鉄橋ですが橋脚がコンクリートでない事が判ります。半端でない高さ故当時コンクリートとは未だ海の物山の物ともつかない時代ですので、鉄で作られこれが大変貴重なのだそうです。
この構造をトレッスル橋と云うのだそうです。真下から見ると・・・綺麗ですね!
蒸気機関車の時代に活躍した転台車。山寺と作並に有り蒸気機関車が走れないので蒸気機関車を戻すための施設です。蒸気機関車が終焉しその後は忘れ去られました・・・・・・
此処で山寺と作並で格差が生まれます。何れもこの施設はゴミ捨て場になりましたが、救済で差が出ます。
山寺・・・平成17年に救済。山寺地区の住民、学術員や愛好家が救済し、作動は難しいが状態が悪くはなかった。JRでは理解を示した(もしかすると整備次第では作動するかも?)
作並・・・平成25年に救済。学術員と愛好家だけ。JRは全く協力なし。藪も酷く状態は良くなかった。日本土木遺産認定に向けてここも整備する必要があり関係者の努力で姿を現した。
上の写真は山寺側での整備中の様子
こちらが作並側かなり酷かった。
昨日UP忘れの奥新川変電所の画像。
平成20年まで心霊スポットと呼ばれる状態でしたが、遺産認定の為骨格だけにして内部の機械を別の建物に移動したのでしょう。恐らく変電所から認定に向けての整備が始まったと思います。(認定は平成27年です)