振り返ってみますと、丁度一昨年事故で損傷したリヤバンパーが前任工場に発送されると電話が掛かった頃でした。それを記念してフレーム入れ替えが上手く行かなかったら確実にこの車になっていた可能性がある記事を致しましたUP。
此処からの位置が凄く良いです。
私がこの車の存在を知ったのが平成6年3月頃。タマタマ帰省し市内の跨線橋でこの車がゆったり走りました。
その年の8月?(兎に角夏休みの時)ハザマピストンクラブ主催のイベントにこの車が参加しており、同じ市内に住んでいる事が判りコンタクトを取りました。
平成7年私の車に書類がない!事が発覚。何気にお袋が「廃車手続きがかなり厄介だった、お前が捨てるな!云うからしっかだなく(仕方なく)残したんだ!」と云った事は忘れられません。近所のN野行政書士事務所にお願いした話です。N野さんはその10年後急死されましたが、「イヤイヤ厄介!」と話していました。
そこで私の推測でスポンサーが名義に入って居る事を考えました。東京トヨペットが所有者だったらこういう面倒な事はありませんでした。
さて大〇領さんでも「かなり厳しい!」となり平成7年は特に出来る範囲目一杯で探しまして、有力候補が千葉県旧印旛町の町議の昭和37年製造の黒でしたが、翻弄されて終わりましたが別のちゃんとした車を探し当てるしか道が有りませんでした。
一旦涙目テールRS41を諦めたのが平成8年。この時なんとな~くEさんも写真の車に情熱が薄らいだかな?と考えアタックを開始。然し予想以上に強固で諦めました。
RS41、S41D-1どちらもアブハチ取らずに終わるか・・・?でも国家試験が目の前に迫って居ます。
兎に角合格しなければ話にならんので車の事は一時休戦の平成9年でした。
そんな中フレーム入れ替えの話が舞い降り、試験後本格的に動く事となりました。
Eさんはフレーム入れ替えから2~3か月して「グランドグロリアが良いんだよね!」と云うではありませんか!
ホント平成10年の8月以降に話が来たとしたら、多分お断りでしょうね。事実昭和39年式グランドグロリアの売り物件があったので。それを購入して交換も視野に入れました。
多分S41D-1でもバッチは拘ったかな?何せ主治医とも付き合いはしていただろうし。