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Channel: 高村円淨のブログ
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クラウン8誕生51年

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昭和39年の本日クラウン8が発売されました。
前年の全日本自動車ショーに於いて参考出品と云う形で          発表されて好評を得たので発売されました。
開発者はクラウンの主査として有名なN主査と思われがち
ですが、実はその部下の役職がないMさんと云う方で、現場からは
「そんな人で大丈夫なのか?」と声が上がったと本人が証言されてました。

尚この車ははクラウンとは関係が有りません。
参考出品の段階から「トヨタ」クラウン8でした。
つまり昭和42年発売のセンチュリーの初代モデルです。

当時は5ナンバーフルサイズカーが各メーカー最高モデルでしたが、
東京五輪開催決定となるや(昭和34年5月です)好景気に沸き、5ナンバーフルサイズカーでは物足りない人が現れて当時はプリンスグロリア以外だと皆外車に流れ、3ナンバークラスの市場の開拓が急務でした。
然し自動車何て買える層は極わずかで、昭和39年頃まではローン何て
気が利いた物は無かったので、全く需要が無いとならば無駄な開発費を投じて終わりとなりかねず、どのメーカーもフルサイズカーの名前をと部品を使い3ナンバーの開発をしたそうです。日産ではセドリックスペシャル、プリンスはグランドグロリアを投入しました。
日産は全幅を買えずに全長を大きく伸ばし、プリンスはG11エンジンの投入&豪華な内装、クラウン8は若干全長を長くして、全幅をかなり大きくしました。実際8のバンパーを見ると、明らかに既存品のバンパーに付けたして長くした痕跡がどれにもあります。
イメージ 1
 一先ず写真を発見したので。此れが初期型。
グリルバッチの右は不明ですが、隣が東京五輪バッチ、多分1964年式とそこで判断して初期型としました。
 アレレ?フロントガラスの左端にステッカーが??駄目でしょ?車検当時でも通りませんよ。
 でも大丈夫本当の金持ちなら車検前に手放すので。

イメージ 2
 ここ最近聞いた話ですが、何時もの如く市長の奥方が私のひいお婆ちゃんに「高村さんのおばぁ~ちゃ~ん」と声掛けして「はいよ!」と貸し出し大叔父が東京まで運転しました。
 駐車場の停める位置も上下関係があり、田舎の小さな市の市長ですから下座の出口側に近い所でしたが、会合の主催者の車がクラウン8と推測され、これが一番の下座に停まります。
 会合が終わりサァ帰宅となった時、クラウン8の弱点、オートロックがトラブルを起こして皆さん出られなくなりました。
 上座は当時雲の上の世界の外車がズラリでしたが、そのオーナーの1人が気が短い方らしく癇癪を起して
 「所詮トラック屋が作る車のレベルはこういう出来損ないなんだ!」と怒って皆が必死で対応している中そそくさに別の手段で運転手と車を置い帰ったそうです。
 
 残念ながらこの癇癪を起した何処かの会社の会長か社長の云う事はその通りで幾らクラウン8とは云えど、トヨペットクラウンデラックスのユーザー層に少し毛が生えた程度のユーザーですから、マダマダ本物の金持ちの食指に掛かる物では有りませんでした。
 
 この話は昭和39年か40年の頃だそうです。何処かに一泊して恐らくは関山旧道をひた走りと思い、またもや旧R48で撮影しました。当時は今の関山道を工事して居た頃です。

 話は私が旧車馬鹿になった昭和50年~55年にかけてですが、当時は国産旧車は評価対象外です。専ら外車の旧車しか評価が無くつい最近まで外車信仰が旧車の世界でした。やはり国産フルサイズカーは一代成金みたいな層とされる所以かと今思って居ます。
 まぁ我が家はクラウンの後はカローラやらサニー、マーチだけで間もなく軽4になりますから・・・ハハハッ。やはり次のフルサイズカーには移行できませんし、大きくクラスダウンです。最もそんな車買う金が何処にもないのですけど(笑)

 ついでに、お袋が今年マーチ(平成19年式)を手放し、妹にあげて妹の軽に乗り換えです。来年が車検なので、結構ポンコツだから買い替えてストップアシスト付きの軽に買い換えるそうでう。



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