旧R13万世大路ラストは明治時代に実際有った隧道群です。この4つを通り抜けて福島へと行く訳ですが、苅安隧道については大正12年に大崩落を起こして消滅しましたが、今回紹介の高平(たかひら)隧道は昭和42年までは有りました。
現在は昭和37年竣工の高平トンネルが取って変わりましたが、旧隧道は砕石事業に伴い払い下げられ取り壊されて消失しました。此れが昭和42年の事ですが、現役時代はしばしこの付近が小石の崩落が有ったらしいです。
現在の道路を使った地図ですがこんな感じで配置されて居たそうです。
新沢橋を渡って高平隧道に近い所ですが、今もガードレールが残って居ます。
此れは戦前に作られた構造物ですが、土砂に埋まりました。私の車が新車時は此処を走った事でしょう。
UP忘れの山形県側の栗子隧道坑門。
昭和38年との話ですが、既にかなりボロボロで、前
回UPした福島川坑門と現役末期当時で変わらない
ので初代の隧道の完成度は非常に高い事が伺えま
す。2代目の位置は坑門が傷みますね。
万世大路を抜けると漸く福島の街が見えた事でしょう。当時此処を通って東京に行った方が近いのか、それとも関山の方が距離は長いが時間的にとなると近かったのだろうか?