先ずは判りやすい栗子隧道の構造図を発見しました。
この図では昨日ヤバイと書いた所の位置は書かれては居ませんのでこの図を見て内部を通ろうと考えてはいけませんよ!こんな状態ではないので。
とても判りやすいです。福島へ行く時はオーバードライブは当然OFFだが、結構アクセルをふかさないと登りませんね。
此れは大した事ないですが、此処5~6年で崩壊しました。全て巻き立てたコンクリートが崩落した様です。
昭和24年に巻き立てたコンクリートかも知れません。
この頃米沢市内から徒歩で遠足で此処まで歩いた経験のある年配者に聞きましたが、昭和24年当時早朝から歩き始め、此処に着いたのがお昼前。当時1台も自動車には遭遇しなかったそうですし、 昭和39年に歩いた別の年配者もそんなに沢山走っていなかったそうです。
此処からですよ、ショックな写真は。
ジャンジャ~ン!どうにもなりません。
先程の写真からそう遠くない所です。丁度
昭和24年にコンクリートを巻き立てた中心部です。
推定土砂高さは6M程と思われます。
2か所崩落しました。崩落時期は昭和47年。
隧道のコンクリートは実に薄いですね、イヤイヤ怖い
今建設中の4代目トンネルは此の真下に作られて居ますが、土砂が脆く難工事だったみたいです。
初代、2代目が此処になりますが、当然此処も脆い岩盤でした。更に2代目の時コンクリートが手に入らず、非常に質の悪いクズセメントで工事しました。
この10年程で発見されて話題になった県境を指す表札ですが、歩行でない限り気付かないでしょう。
この中を我がトヨペットクラウンデラックスは何度か走
りましたが、今思えばよく無事で帰って来ましたね。