今回郵趣記事を作るきっかけの切手は一番初めに出します、明治5年4月(旧暦2月)発売の「竜銭切手」の最高額の5銭を入手した事です。
先ずこの切手が発売されるまでの歴史を振り返ります。日本初の切手は明治4年4月20日(旧暦3月1日)に当時の貨幣文(もん)が持ちいれられました。全部で4種類有って48文、100文、200文、500文発行されました。又切手の材質は和紙で、目打ち(切手のギザギザ)や糊は有りませんでした。それと図案は竜が描かれマニアの間では「竜文切手」私が入手した物は「竜銭切手」と呼ばれて居ます。
非常に精巧な図案で、これを手掛けたのが松田緑山(敦朝)と云う銅板彫刻技師で、彼が経営する「松田玄々堂印刷」で発行されました。但し明治5年の7月発売になる次期の「桜切手」の銅板準備があり、竜銭切手は短期間の発行で終わり、残存数は非常に少ないそうです。まぁ明治5年の初めの時点で桜図案の銅板製作に当って居り、その間切手発行を空けられないので、最初の図案の銅板でそのまま製造されました。
そのうち48文切手を入手予定ですが、無理して竜銭切手を入手したのには理由が有ります。
此れが今回入手した竜銭切手5銭です。同時に15年間ストップしてきた郵趣再開の切手です。
竜文切手もそうですが、和紙ですので材質が脆く他の切手と比べて状態が良い物が有りません。写真の切手はこれで「美品」で相場価格15万円程。今回はその半値以下での入手です。半値でも躊躇しますが、今回の価格は先ず殆ど無い価格なので無理しました。
こちらは平成2年に入手。高校時代で、小遣いや先輩時には同級生のパシリや宿題の代行等で得た金で入手。此れも美品ですが、当時2万円だったかな?もうヘロヘロになりました。
5銭は欲しかったですが、それこそ「エベレストにふんどしとわらじ」で登山する感じでしたので、先程の5銭は別世界でした。最近まで1/2銭以上は無理と思って居ました。
どうして此処まで無理をするのか?
この人。もう解説は不要でしょう。
丁度「竜銭切手」発売した明治5年の旧暦2月に生まれました。そんな人物が生まれた時の切手と云う事で無理して入手したのです。それと私の高祖母(お婆ちゃんの祖母)もこの頃生まれました。
明治5年から有った切手となると時のロマンを感じずには居られません。丁髷姿の日本人が多かった時代ですしね。
さて上の切手は昭和24年11月3日発売の文化人シリーズの18人中の1人が樋口一葉で、昭和26年4月10日に発売されました。額面は800円ではなく、8円です。
当時未だ銭が流通しており、00の部分が銭単位とされました。此れは昭和27年まで続きます。
この画像は皆さんお馴染みですね。
それと代表作「たけくらべ」は高校時代指定読書感想文庫で、切手収集していた観点から迷う事なく選びました。すると同期生を介して先輩が「円淨の感想文を貸す様に話しつけて来い」となり、何も疑わず貸して、同期生は「、や。」或いは漢字をひらがなにしてそのまま写して先輩に出し、その後何人かの先輩の間を回り、何故か校内入選になり、同じ感想文が何件も出て「おかしい」となり、国語担当の教師に問い質され私の感想文が原本となり、連帯責任で私は入選取り消しで先輩は未提出処分となりました。(まぁ提出取り消し成らないだけで良かった)