寒河江で知らない人は絶対居ない「ふくやそばや」さんの直ぐ隣である事は昨年もお知らせしましたが、看板脇の古いお墓がお婆ちゃんの実家のお墓でもあります。私の何十代前の先祖か判らないご先祖様のお墓ですが、明治時代にトラブル有って一部だけ此処に移設しました。此れは石碑にひいお爺ちゃんが記録しています。丁度亡くなる少し前に刻んで居り整備が終わると安心するかの様に77歳で昭和43年1月亡くなります。
右側の3基は江戸時代中期から此処にあり、当家の先祖を守る為に住み込みしていた侍の墓と聞いて居ます。その方の位牌今も有ります。
元々有った宿龍院の本尊。この中にあります。
閻魔大王の化身である地蔵尊。閻魔像同様私が授かる様にひいお婆ちゃんがお参りしました。
ひいお婆ちゃんはお坊さんの隣にいます。当時私は4歳になったばかりです。その左隣がお袋の従弟とその娘です。私が大叔父に次いで49年ぶりの男児です。
中々男児が生まれにくい家系でしたが、私の後は女児が授かりにくくなりお婆ちゃんの一族でも妹と姪そして娘だけとなりみ~んな男児ばかりとなりました。
結構古そうな絵です。私には判りませんが、お寺が有った当時は襖絵でした。
極楽往生図の明治時代版結構明治期こういう絵がはやり、あちこちの寺院で目にします。
比較的新しい明治44年に描かれた物です。