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Channel: 高村円淨のブログ
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R112の歴史

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 折角旧朝日村の田麦俣に行きましたので、多層建て民家の2軒を紹介しましょう。
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 六十厘越ことR112の歴史です。丁度内陸の現寒河江市や西川町と鶴岡市(旧朝日村)を結ぶこの地は重要なルートである事が此れを見れば判ります。
 前回クラウンRS41で紹介した同級生の父親はこの峠の研究会会長です。

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夏場に紹介した旧名川隧道を抜けてスノーシェルター部分ですが、私が特に強く記憶している所なのでUPしました。此処を走って居る時呑気に「ヴァケーション」を口ずさんで弁当を食べていた時大型トラックがギリギリに迫って居た事は37年経っても忘れられません。


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庄内方面に行ったのは1回位かな?あの当時未だあちこちで茅葺屋根は見られたのかも知れません。
今では茅葺屋根は桁外れに高い金が掛かります。

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R112と云えば戦後すぐGHQが石原莞爾を監視する
為山形市からこの六十厘越を経由し鶴岡に向かって居ました。その道中の大井沢で元山大教授の伯父と亡くなった親父はGHQのジープを止めては「ギブミーチョコレート」をして彼等は「乞食の餓鬼へ餌をやる!」と云う感じでチョコレート、ビスケット、ガムを渡して居ました。
伯父は村の餓鬼大将ですから帰ってからお菓子を分けます。その伯父も75歳を過ぎました。



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クラウンの撮影で出したお宅。

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そのお宅には貴重な蛋白源となる鯉を飼う池が有ります。豪雪地帯なので水には不自由しません。大井沢を始めこういう土地では何処の家にもこういう池が有ります。無論親父の実家にも有って鯉が泳いで居ました。

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此方のお宅は屋根の葺き替え途中でした。




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