また旧山形陸運支局にやって来ました。
昨年も同じ歌を歌って訪れましたが、実は重大な誤りに気づき、タイヤ交換したので試走行がてら参上しました。おさらいとして設立は昭和25年で閉鎖は昭和39年7月となっています。
僅か14年で現在地に移転しましたが、やはり改めて正しい場所が判ると、「こんな所ではとても業務を行うのは困難、いや不可能だ!」と思いました。
もし興味がある方、グーグルマップで「北山形駅」から東側へ進めると不自然に新しい住宅地が見えます。その場所こそが旧山形陸運支局で、到底業務を行う事は無理、不可能と理解できます。住宅地以前は日通山形営業所で数年前まで日通が業務をしていました。
恐らくですが当時の正門と思われる場所にて撮影。
やはり他人様の住宅前ですから変態丸出しですね、幸い平日のお昼でしたので、余り狙った撮影をしなければどうにか撮影できます。
パトカーが来る前に・・・・。
国鉄(JR)北山形駅のすぐ隣である事が理解できるでしょう。茶色いお宅が一番端です。この駅舎は昭和39年以前からあったと思います。
そのお宅を曲がると昭和の様な町並みが見られます
室内から。恐らくここまで昭和38年の6月に東京トヨペットの販売員が運んできたかな?
比較的道がマトモな仙台経由関山ルートが新車輸送路と見ています。尚最近知りましたが、13日にUPした旧豊栄村荒谷を経由して現在の県道22号線をひた走りすれば自然に国鉄北山形駅に行き、陸運事務所に着きます。
この当時まだ「全日本自動車ショー」が正式名称で、題名が「自動車ショー歌」となるのです。10月より今まで続く「東京モーターショー」になります。
ここに出る車で今も残る物はクラウンだけでしょうね、
茶色い家から曲って、西側。ここは入り口ではないでしょうけど、念の為。
南側。どうでしょうかね?ここから入ったかな?大型車は侵入困難なので恐らく一番初めの北側が正門であった事は間違いないと思います。
昭和39年当時の5ナンバー登録は未だ7000~7500台程度しか山形県内にはありませんでした。当然ナンバーも「す」のまま。(一番多い4ナンバーは「そ」の4000番台と思われ、す、せ、そまで進んだでしょうね)
何分山形駅前の広場に何処と決めずに自由に駐車が出来たのです。無論お爺ちゃんも駅前広場に黒塗りのこの車を停めて仕事に入れたのです。(尚お袋に聞いた話では殆どトヨペットクラウンデラックスで通勤はしなかったそうです)
尚現在の山形陸運支局は山形市漆山地区にあり、広さは旧敷地の6倍はあるでしょう。幾ら自動車が少ないとは云えど、当時でも車を捌く事が難しかったと思います。昭和43年ともなると爆発的に登録が増えますからねぇ~、