と思った初めてのスバル360がこの車です。
家から徒歩4分の所にある物で、昭和59年の秋に置かれ60年の正月頃屋根が陥没してこの姿になりました
当時私は小学5年生で旧車雑誌何て当時は何処にもなく、僅かに旧車販売の広告で「くるまにあ」とか学研等の学習辞典に時折出る当時の型落ち車で正式な車名を知るか解体屋で車を知る以外手だてはなく、例えば
スバル360のニックネームはテントウムシは全然知りませんでした。
で、この車を何故テントウムシに思えたか?実は従弟が当時買って居た学研の太陽光で走るテントウムシの付録があり、太陽光の当たる部分が丁度凹んだ屋根と同じに見えて「テントウムシ」みたいな車だなと率直に思いました。それがスバル360のニックネームがテントウムシと知ったのはそれから5年後高校生の頃です。
撮影は平成4年3月です。
持ち主は以前スバル360の分離給油の時書いていますが、お義父さんと同期に県庁採用になったKさん。
昭和46年採用でその時でスバル360の「出べそ」分離給油に乗られ、2年後お義父さんが運転免許取得後しばらく借りて出べそに乗っていました。(今お義父さんはMTの運転は不可です)
さてこの車は年式は昭和41年式で、宮城県在住の方なら書くと判るでしょうが、松島町のトヨタライトバスの上にマツダライトバスが積んである解体屋にこのスバルがあったのです。オーナーはH沢さんですよね。
私が見たのは昭和59年5月の松島修学旅行の時でした。ケンメリHTのシルバーの上にのっかっていました。その時点で屋根が凹んで居たのであの個体と判ったのです。タイヤもスノータイヤで、この車も当初スノータイヤを履いて居ましたが、2年後多分ホイールを使うためにかな?タイヤを外しました。
Kさんは残念ながら平成22年に62歳で癌の為亡くなりました。お義父さんもガッカリしていました。
車の主治医も知り合いと云う事で、先ほどの個体で使える部品を診察して、そこを壊さない様にユニックのつり上げを立ち会い丸ごと「出べそ」給油口車と同じマニアに引き渡しました。
どうも以前から思って居ましたが、この風景「仰げば尊し」がとても似合う感じがするのです。又本日は高校や大学等の卒業式ですしね。
今では2番が学校で歌われる事が無いので、2番があるものを見つけUPしました。とてもいい歌詞なんですが、日教組が強いので2番は抹殺しました。それで3番を2番として教育しました。私たちは2番は大人になって知りました。