当時不人気車種で、長期在庫車両となる厄介な車であったと「失敗しない中古車選び」と云う著書を書いた方が当時振り返っていました。
兄弟車種のターセルもそんな1台でした。著者は「困った事にこういう車を仕入れるから販売としては非常に困る!」でした。
こういう車は当時は飾りたてを派手にして格安車として販売してそれでも売れないと大きな営業所がある所は各所を転々として業界用語では「渡り鳥」
と呼ばれそんな車が本当に1年近くして元の古巣に戻り数か月残れば解体屋へ送られるそうです。
この車ではないけど、30年以上前私が出入りしていた解体屋に初代チェリーのからし色が入庫して来た事を思い出します。結構派手に売れる様に張り紙が施され、その1か月前は日産の中古車ランドで見ており、当時3万円でしたね。他にもB210のクーペとかダイハツのシャルーマン何て物もありましたね。
エンブレムも誇らしげに残っていました。
定期点検や車検ステッカーは判読不能でしたが、何となく直感で平成元年が最期みたいでした(昭和60年ではなさそう)
パブナナバンさんより前期型の鑑定頂き、恐らくは昭和54年式と見ました。10年ともなると当時は次の1年車検が嫌で廃車にする事例が非常に多いので。
記憶では昭和60年頃コルサは解体屋では幾ら不人気でも先ず見ませんでした。昭和62年頃からボチボチ見ましたね。
後で書きますがタイヤで回転したのが左リヤのみ。
これはセルフローダーの上で引きずった時固着が無くて回ったのでしょうね。事実他の3輪はタイヤが外れ固着している事が判ります。
スパイクタイヤが当時を偲ばせます。スパイクがこれだけ減るとなるとやはり6年程度では効かない年月を走って居るでしょう。
やはり平成元年車検切れ&廃車が妥当です。
恐らくドアを何とか外して旧道から重機で挟み込んで、引き上げたのでしょうね。
前輪に注目。タイヤが外れかけているので強く引きずったのでこうなったのでしょう。又トラックの床板がめくれている所を見るとトラックの上でウィンチでひっぱったのでしょうね。ですから路上では引きずった痕跡がどこにもないのです。
ある種これは私も参考になります。
同じ様な1963年式のクラウンRS41の廃車が畑に有った場合、引き上げが出来ないならば、割れては困るフロントガラスを守る為にもう少し後ろ側に挟み込んでこの車みたいにドアを外して放り込めば良いのです。
リヤガラスは成り行きで良い訳なので割れたら割れた。他に欲しい部品は外せるなら外して、こう引き上げてガラを解体屋に送ればOKです。