ハイウェイ工事中だった昭和39年6月「赤い殺意」が封切され、同年3月に二ツ小屋隧道にて撮影が行われました。如何に3月とは云え豪雪地帯であったとご理解できると思います。
当然冬季通行止めです。1月とか2月ではないです。本当にこれで3月なのですよ!
数年前は映画全編の画像がありましたが、今は画質が良くない二ツ小屋隧道での映像しか残っていません。
よ~く見るとすでに隧道の隙間から漏水して「つらら」が出来ている事が判る筈。こんな状態ですから車は汚くなります。
ここが我が故郷「大平集落」です。ここに当家は明治14年移住し10年ほど生活の後現在の長井市に移住しました。尚この集落は昭和7年6月までには廃郷となり、残された家屋は間もなく始まる2代目万世大路工事の際作業員の宿場に使われ、当時の記録ではマトモな廃屋に朽ち果てた廃屋の良い部分の材料を剥がして使い、工事終了した昭和10年までには全て取り壊し今の姿になりました。![イメージ 3]()
こんな風に50年以上前旧R13を走ったのでしょうね。山の中のイメージです。
今は草生してこんな感じですが、当時大平集落から、少し下の大瀧集落(昭和54年廃郷)の一部の住民は面白い遊びをしました。
ヒッチハイクです。特に山菜取りをした時通行車両を小馬鹿にする為やったそうで、
二ツ小屋隧道を出て少しして手を挙げて「乗せてくれ」の合図をして無視されるとそのまま道を下り車より先に住人が下の道で手を挙げ合図をしました。
運転手は気味悪がり更に下っても同じ住民が車より先にたどり着いており根負けすると仕方なく乗せるドライバーが多かったそうです。
平均速度17キロですから、絶対的に九十九折では人の方が早いのです。都内も渋滞渋滞で歩行者の方が早かったなんて話がありますよね。
大叔父も同じ様な事を話していました。公用で走るので、気軽に他人を乗せられず恐らくは
「Yさんよ(大叔父です)、さっきからあの人おらほの車より早く道に立っているぞ!」
「K蔵さん(市長です)、幽霊なんだべがねぇ~、気味悪いと思っていだよ。」
なんて会話があったらしいです。
崖を下れば大回りする自動車より人の方が明らかに早く下に辿り着けます。
このバスも米沢営業所所属で急行があるとなると、栗子隧道を走り福島まで走ったかも知れません。
上の写真みたいに。
昭和39年の東京ですが、格差を感じます。私のトヨペットクラウンデラックスも恐らくは違いに目を丸くしたでしょうね。