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Channel: 高村円淨のブログ
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モーターエージ昭和37年10月号 その2

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 この記事を見て、ググ~ッと来た内容がありUP致しました。1つは何となく知っていた事ともう一つは初めて今回知った事です。
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 発売直後の座談会参加メンバーです。あの天下の中村氏が一番下とは・・・・それだけ錚々たるメンバーが参加したのでしょう。
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 一つ目は自動車技術会の理事と豊田自動車工業常務取締役との対談。
 RS40系がフレームレス=モノコック構造になる噂ですが、実はこれ私は20年程前に知った話です。

 実は当時、RS40系を開発していた中村主査の下には主任が1人と肩書なしが1人(Mさん)、あとアシスタントの女の子が2人だけの小さな部署で開発されていたのです。

 Mさんの当時の回想で私は知りましたが、人手不足の中、当時分社化されていたトヨタ自動車販売の誰かが
 「ライバルの日産セドリックはモノコックボデーを武器にかなり売り上げを上げているではないか!次のクラウン(RS40系)をモノコックボデーで開発してくれよ!」と云われたそうで、中村さんにはこの販売の社員は云えなかったそうで、Mさんになら云えると考え訴えたそうでした。

 然しモノコックボデーでの開発は並大抵の物ではないから「勘弁して下さいよ!人手が足りずモノコックボデーの開発は出来ませんよ!」と答えたそうです。

 尚この時この社員は本気になって訴えたとは思えないとMさんは回想されていました。と云うのは中村さんや主任には訴えずすぐに訴えた先がMさんだったので「自分の様なペーペーに訴える様では本気ではないだろう。」とみたそうでした。
 記事から見ると中村さんが肯定しないので先ず間違いなくMさん止まりであろうと見ていいでしょう。

 この記事がある所みるとMさんの思惑とは違い実は本気になって販売の社員はモノコック構造を訴えていたのかも知れません。ですからMさんの所で立ち切れになったので豊田章一郎さんが知らなかったと思われます。

 もしかすると、自動車販売の社員は結構上役の方かも知れませんね、それで自動車技術会理事の所にこんな噂が流れ、こういう事になったかもしれません。
      
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 恐らくセドリックがクラウンより売れていた時期のモデルはこれでしょう。「大分前」となると1961年式が該当すると思います。


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 フォードファルコンのコピーだと思っていましたが、実はそうでないとは初耳です。
 確かに昭和34年からの開発は知っていましたが、1960年にファルコンは発売だから開発中にこれを参考にしたと思いましたが真似をするわけには行かなかったとは驚きました。
 尚徳大寺有恒氏著書の「ぼくの自動車史」によると昭和36年頃かなり沢山のファルコンがトヨタ本社に有ったと云う証言があります。
 果たして真相は????


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 目玉のワゴンカスタム。2代目から標準設定のワゴン発売。初代はありませんでした。
 然し内容はクラウンライトバンデラックス、マスターラインライトバンデラックスに近い内容でした。

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 結果論から書けば、RS40系がモノコック構造でなくてよかったと思います。
 もしこれがモノコックならばフレーム入れ替えの書類なし復活作業が出来ませんから。
 そればかりではなく骨格がしっかりしていればこの先数十年ピンとした状態を保てます。
 長く乗るには別体フレーム構造が一番です。そういう構造に私は惚れたのでクラウンを維持する決断をよりしたのです。

 モノコック構造となった平成3年後期以降はクラウンは好きの対象から外れました。





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