現在のR112が開通したのは昭和54年の事。それまで六十厘超と呼ばれた旧道がR112で鶴岡に行く道でした。とても狭く難所で「まん~ず六十厘ごえは大変だっけべゃ~!」と云う年配ドライバーは結構います。
以前紹介いした名川隧道もその途中にありトンネルはあそこ位だった記憶があります。
現在六十厘超は廃道ではなく人が歩く道125㏄以下のバイクや軽車両用の道としてきちんと整備されています
まずはその途中の大井沢への道。ここは戦後作られ
此処から山形交通バスが山形市から直通で走っていました。大井沢へコメを買いに行く為に設けられました。
昭和57年か58年頃で寒河江ダム建設に伴い水没し今は通れません。
写真真ん中の大木が生えた所に道がありました。
尚昭和47年以降は大井沢へはこの車では行ってはいないと思われます。あくまで私の代で初めて行きましたし、当時の茅葺住宅は見ては居ません。
さてここは旧朝日村の田麦俣。昭和53年の夏トヨペットクラウンデラックスでここを走りました。当時は今と同じ舗装道路でした。
今は2件だけうやうやしく建つ茅葺屋根の住宅ですが
昭和53年はもっとありました。写真は昭和35年(1960年)です。
「いんや~、砂利道で狭いっけべや~!」これも昭和35年です。
今はこの様にひっそりとなりました。
「ママ!キャラメルコーン食べたい!」とか「森永のラムネ食べたい!」がこの辺りでしょうか?
名川隧道付近ではエビフライやジュースを飲食した記憶が?????
因みに山形5ナンバー時代お袋がこの車に乗ったのは昭和56年8月が最後と記憶しています。