私の車レストア終了時はナンバープレートのねじは今時のフツーのねじでした。別段私はねじは拘っていませんでしたが、主治医がマイナスビスのねじを何処からか見つけてくれてリヤのみ昔のマイナスねじになりまして、4~5年前からこのねじです。
恐らく廃車前はマイナスねじであったと思いますが、デーラーマンに「ねじは残して!」何て気の利いた事はお袋、お婆ちゃんはしません。一時抹消証明書を受け取り「御苦労さま」で終わりです。
此処だけが古いねじです。無論私の車に残ったねじでは有りません。廃車当時ねじは1本も残って居ませんでした。多分昭和40年代の物でしょうね。後はもうないそうです。
こちらはフロント。此れは今時のねじです。まぁこれで良いや。
反対側。
草ヒロを見ていると多くがねじが無いですね。たま~に廃車した時ねじを残している人が居ます。話を伺うとやはり車が好きな方だと云う印象が有りますね。
余計こういうねじが残りにくくなり、拘る気持ちが判りますね。
ライトバスを出したのは我が家で一番初めに畑に置いた物置代わりの車だからですが、色も同じタイプの写真を発見したからです。
昭和51年に親父の教え子のお宅で工務店経営者が居てそこで廃車となったバスを引き取りました。畑まで自走して、そこでナンバーを切って以後20数年使いました。歯科医引退に伴い開業をしないとしたので駐車場にするとなり、バスを処分しました。
このバスも見事にビスは有りませんでしたね。平成9年に置いたサニーは自分がナンバー切ったのでビスは残しましたし、クラウンはナンバーフレームも残したのでもちろん残って居ます。
それと我が家が一番初めに畑に物置廃車を置いた訳ですが、その後3年以内に我が家の真似をして次々に廃車を畑に置く農家が現れました。畑で1台廃車を見付けるとその数キロ半径以内に必ず何台か見かけるます。一方カミさんの実家では誰も畑に廃車は置かず今もそれらしいものは有りません。豪雪地帯も有るのでしょうけど。