何度も出した関山旧道の地図ですが、①区間より先が謎のままですが、どうやら3/27UPでは謎としていた先は恐らくこうであろう事が判りUP致しました。
①の休石より先は写真から判断して現道の左車線を見るとコンクリートブロック垣があり、そこに道路が存在していただろうと考えています。
現道はこの写真から判断し山を削って作った事が判ります。
これを辿れば間違いなく旧かつらざわ橋に繋がります。但しかつらざわ橋の反対側は道が埋まっています。
橋を左折すると
今はK砕石所の砕石現場になりました。
当然危険な場所で立ち入りできません。ここに旧道があると関係者から聞けたので先ず間違いなくここが旧道であったと考えました。
因みに親父の実家の分家の会社の社員さんから聞いたのではありません。砕石所に一時期務めていた方から聞きました。
10トンダンプが走る道なので、道幅は当時と変わらないと考えられます。
当時はこんなトラックも走ったでしょうね。私個人が凄く好きなモデルで、旧車好きになった第1号車です。
因みに砕石所の関山工場入り口にこのタイプのタンクローリーが平成10年までありましたが、いつの間にか処分されガッカリ・・・・元関係者の方が働いた時はなかったそうです。
むろんこんな車だって。R286も仙山文化の道ではありましたが、当時でも余り現実的な道ではなくこの手の車は旧R48を通るのが常識で、むろん外車もです。
現在R48のドライブインが建っている所はかつらざわ橋から1キロ程だと思いますが、ここはこの車が現役だった頃は間違いなく山の中だった筈。
休石~大滝付近はこの曲が良いナァ。ここにも旧車が隠れています。恐らくこの車もここを先ず走ったでしょう。無論現役時代はこの車とも対面した筈。
*現役期間は昭和38年6月~43年までとしています。44年以降は余り走らず47年4月~6月は毎日走ったけど、程なくして現役を終え我が家はKE20が中心になりますが、私が52年6月か7月には乗る表明をしました。