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Channel: 高村円淨のブログ
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アンチ三菱党ですが

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 つい撮影しました。
 何処かに書いていますが、親父は中学校の教師(理数担当)ですが、中卒後新三菱重工自動車部門で6年間働いていました。
 中卒者の扱いはぞんざいな物でしたが、それは世の常それで嫌いになったのではなく、2000年以降何度発生したか判らない三菱自動車の詐欺行為で超嫌いなメーカーとなりました。

 親父が務めた昭和35年~40年は残念ながらトップは自動車については何もわからず、現場の図工、職工に一切を任せていたそうで、親父は設計にいたけどその割に自動車が判らない人で素人が作った車と云う認識があります。(因みに妻であるお袋、兄である伯父たちもこの事実は私が知らせる10年前まで知りません)
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 恐らく実働するジュピターはこの個体位でしょうけど、ナンバーは今年になり付いたそうです。
 一説には書類がなかったそうですが専門業者の手により付いたと誰かから聞きました。
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 車検ステッカーは昭和48年10月でした。定期点検は緑ですが少し変色しました。
 このデザインは昭和52年まで、欠けている所が定期点検時期です。このデザイン私は昔から好き。
 
 因みに子供の頃から草ヒロを見ると真っ先に見るのが此処。何時頃からこの地にあるのか?が此処で概ね判ります。子供の頃の5~6年は長く感じ、「あ~、5年前から此処にあるからエンジンはどうなっているだろ??」とかこのステッカーだとより「怖い物」となりました。
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 ガラスから1963年式か64年式と思われます。10年前後の活躍だったでしょう、高度経済成長期に酷使されてスクラップになる予定の個体だったかな?
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 よくぞ残りました。東京五輪、昭和元禄と遮二無二働き40年以上の眠りに就いたのでしょう。
 こういう個体をみて当時を想像するもよし。
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 点火時期調整は貼られた形跡がなく昭和48年4月以前には廃車でしょう。
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 ラジオ&ヒーターが付き豪華なトラック。ステアリングの擦れがあり、これが高度経済成長を支えた証です。

 多分現場への行き来でタバコを吸いながら、男たちがラジオを聞いてにやけていた姿が見えます。
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 色が良い、エンブレムが良い!



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