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関山峠の転落車

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 以前も紹介した関山旧道(廃道側)に転落している
1963年式ダットサンブルーバードDXですが、新事実
がこの度判りました。 ・・・・結論から書くと・・・・
  
 *「マジで転落事故車!それも死者が出た事故車」* 

 でした!これまで書いてきた関山の転落車輛はスクラップ材を放り投げて「六条家転落事故」を面白おかしくする為、更には「六条家」と云うテキトーな名前を生む為にやった「けしからん」行為と思いましたが、私の仮説は取り消しになります。

 それではその経緯を写真提供者マロさんよりも許可を得ましたので、写真を拝借しつつ取り消しに至る又あの姿になった事を旧車マニアならではの視点から解説致します。まずはそのお話から

 今年の8月か9月頃の話ですが、マロさんはふと元バスガイドさんだった年配の女性と知り合い、ここから私の仮説、考えが崩れて行きます。関山の転落車輛の話題になりました。

 女性は蔵王エコーラインや吾妻スカイバレー開通した時代にバスガイドとして活躍され(恐らく親父と同じ年かやや年上である事が判ります)関山旧道が現役だった頃山形へサクランボ狩りツアーで何度も旧道をガイドされた方です。

 会話の中でスクラップと思っていたブルーバードの話になり、女性は

 「実はあの車、私の知り合いの一家が乗った車で、(両親に3人の兄弟)宮城県の沿岸部の某市在住で冷凍倉庫が立ち並ぶ場所の近所がお宅です。」と話しました。オーナーさんは某市にある大きな会社の社員ですからそれなりの経済力があり、購入できたと思います。

 唯女性は事故がいつ発生したかは忘れたそうですが、私が複数の関山旧道での転落事故を探してまとめると・・・・昭和39年(1964年)9月22日が発生日と見て
まず間違いないでしょう。

 やはりこの事故も六条家事故を含めて共通ワードが
「乗車人数は5人」そのうち「1人が助かった」そして「お婆さんが事故後養育した」が全ての話にあります。

 しっかりした年月日が残る理由には地元「河北新報」に出ていたからです。かなり大きく取り上げられたそうです。

 そこでしっかりした記録を残す事を含めて一人助かった人は女児で、その後県外(宮城県外)に住む祖母が引き取り養育。成人して結婚し残念ながら若くして亡くなられたそうです。

 それでは写真を使い旧車マニアならではの解説をします。

イメージ 1
 ここから見た分にはスクラップを放り投げたとは「ぱっ」と見た所連想できません。タイヤは兎も角随分前主治医から「関山に転落事故の車両がある」と聞いていたので身を構える写真です。
 でも写真を見て直ぐに気付く事としてfullシンクロエンブレム、バンパーのオーバーライダーが無いので、恐らくは1960年式か61年式のタク上がりの中古でも買ったオーナーが昭和39年の事故後グレードアップ目的で剥ぎ取ったと今は考えて居ます。
 前回UPの時はスクラップ放り投げですからエンブレムは解体屋時代に、マニアが剥がして、オーバーライダーも同じ道を辿ったか放り投げた時はあっても数年して朽ちて無くなっただろう程度です。
  唯61年以降フルシンクロになったので1960年式のタク上がりが濃厚で、バッチとオーバーライダーを付けたくなり剥ぎ取った可能性があります。
 兎に角これらの部品が事故で転げて無くなる事は余り考えにくいです。特にエンブレムは。
 尚60年式は私のクラウン同様ローはノンシンクロ。
イメージ 2
 なんじゃ?何にもないじゃないか?こりゃ~スクラップする為の材料でも買って「六条家」話を生む温床だ!と見て居ましたが・・・・・・
 
 どうやら、11/23に関山フォーラムで当時の様子を知る有識者の話では「この時代物資不足から事故車の放置車両から部品を剥ぎ取る輩が居た。」とあり、当時を知る人の話ですから自説は引っ込めねばなりません。

 先の話の戻って事故は一番有力なのは昭和39年。このブルーバードは1963年式ですから1年程度の使用。
 剥ぎ取った部分をよ~く見るとデラックスならではの部品がほぼ全て欠品です。

 つまり・・・・新聞、ラジオ、テレビで関山の事故は報じられていますから、事故のホトボリが醒めた頃を見計らい時間を掛けて部品を剥ぎ取り自分が乗る「タク上がりのブルーバード」に取り付けたりハタマタ「中古部品として」売却したのでしょう。

 そういう事であの剥ぎ取り具合から私は1960年式のブルーバードのタク上がりでも購入した者の中にグレードアップして乗った不埒な者が居たのかも知れません。
 パブナナバンさんの話じゃないけど、旧車天国の参加者の中にも考えられない輩が居たのでこの時代居てもおかしくないでしょう。

 特にタク上がりはハンドル回り、ブレーキクラッチペダル回りはガタが年式の割に酷く、ましてデラックスともなれば白いステアリング関係ですから黒いステアリング周りではない方が良いので、余計欲しくなるでしょう。恐らく事故ではハンドル関係は特に傷なく残りますから。当然ラジオ、時計、ヒーターは先ず無傷でしょうし、欲望赴くまま外したでしょうね。
イメージ 3
 多分こちら側から侵入しシート等含めて部品を盗み取ったのでしょう。スクラップ材を放り投げたと私は思いましたが、唯一左側が激しく壊れている事が不自然で引っ掛かっていました。強引に引き裂いて無論シートも剥ぎ取りしたでしょうね。
 まったくもって恥知らずです。それと写真は以前UPの記事から引っ張りましたがエンジン回りでも補機類が無いを見ると駄目になりやすい部品がかなり無くなっているのでタク上がり、中古部品に卸すは十分考えられます。当時タクシーは多くがガソリンですから1年だけの使用は喉から手が出る程欲しい物件でしょう。
イメージ 4
 今どうせ使える部品は無いし、取りに行くには厳しい物しかないから教えても問題ないでしょう。写真左上は最も廃道でも路面状態が良い所です。この道路から落っこちました。

 恐らくですが山形方面に遊びに行って、その帰り疲れてハンドル操作を誤り転落したのでしょう。
 当時はシートベルトが無い時代ですから一家全員車外に放り出されて娘さんが辛うじて助かったのでしょう。

 それと事故車が残った理由として多分ですが、遺体収容等は無料でも自動車の引き上げは有料で子供しか残らなかったのでそれが出来ず、そのままとなったのでしょう。事故の1か月前は山形県側で母子が乗った自動車が転落しバラバラとなり、60米下まで落ちたが全て引き上げたし、これまでも宮城県側の隧道出てすぐの所に魔の直角カーブがあり、転落車が沢山あったが皆引き上げられました。金が払えないとそのままなのかも知れません。

 尚転落車輛があるはそんなに有名ではないけど、女の幽霊は色々形を変えて話題になりますが、大叔父の友人の本家のお母さんだとか今回の事故が尾ひれ葉ひれ付いて複数化しています。
 それと共通して作並の○○病院へ乗せてくださいと云うが共通語ですが、作並には昔から病院がありません。診療所ならありますから、こちらの話は全て作話。第一○○とは存在しないから云えないのです。

 唯山形にも母子の霊が出るとありこちらはお婆ちゃんが勤務していた先の児童である事ははっきりしていますが幽霊がタクシーに乗るとなると疑問が出る点があり、あの近辺は流しの営業をする土地ではなく、基本予約乗車ですからハイヤーです。流しのタクシーに乗ると皆なっており、作話説と私は思うのです。

 何分仙台から来たタクシー、山形から来たタクシーにあそこで乗せて料金を取れば運転手や会社にとって極刑となるべく「営業停止、免許停止」と云う厳罰が待ち構えて居ます。因みに山形側エリアであの地域から客を取れる業者は天童、東根市のみで、宮城側は仙台町、秋保町の業者以外は全て処罰されます。
 多分運転手もエリア内外問わずあの場所だから親切心で金をとらず乗せるつもりだと思います。
イメージ 5
 かなりの確率で私のクラウンとあのブルーバードは「同期の桜」恐らく唯一生存できた娘と叔母が概ね同じ年とみて居ます。
 多分私のクラウンもあのブルーバードの脇を何度も走った筈。もしかすると不埒な奴が部品を引き上げている所も見たかな????


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