最近になり判りましたがクハ455系列車は仙山線には最適な車輛だったそうです。
その後継の車輛は残念ながら不向きでクハ455が撤退してから度々列車運休が目に付くようになりました。
何故優等な455が引退しなければならないか?・・・それは構造上の欠陥でした。
今の仙山線車輛は3ドアで中央部も開口しますが455は2ドア。その為特に人口が爆発的に増えた愛子付近では乗客をさばき切れず列車運行遅延が問題化しました。
そう云えばR48の仙台西部区間が工事終了してから物凄い勢いで人口が増えてJR利用もおのずと増えて混雑も凄い物になるでしょう。
455引退は平成14年(2002年)ですが想像するに、運転士は運転しやすい455を取るか、確実に中央部にドアがある新型を取るかの選択を迫られると、定時運転確保が重要だからおのずと新型を選ぶしか選択肢がないでしょう。
丁度455に社会人になって少しした時期に乗りましたが一度愛子で遅延して挽回する為結構飛ばして危うくEF81と衝突しそうな感じになりました。間近にEF81が迫り怖かった。
やはり運転士も命懸けで運転している事が良くわかりました。因みにお爺ちゃんもその昔運転指令をしており、運転指令所でもこういう時は神経を相当すり減らすそうで、おのずと新型を導入したくなるでしょう。
クモハ455-202の写真だそうです。455系でも一番古いとされる202号。元は昭和39年1月製造のクモハ453-20で、日立製作所製造。
この車輛が私、一番好きでクモハは喫煙なので余り乗りませんがクハ455-202(昭和38年8月日立製作所製)かモハ454-202(クモハと同じ)のどちらかに乗りたく交互に乗りましたね。
この大きいライトのまま平成6年廃車。
モハ454の初期。もしかすると一桁?だとすれば、
昭和40年日本車輛製。
特に202号が大きいライトを煌々と照らして山形駅を出発前のイメージがこのラストダンスは私にのイントロ。普通のそれとは違います。
曲その物も455が山寺ー作並区間を走る感じがします。お爺ちゃん達の時代もそうでしょうが、命がけで定時運行確保している関係者に送りたいです。
今仙山線はドル箱の1路線です。これからもJR関係の皆さんよろしくお願い致します。