いよいよ気になるサイトをUPしつつ私見を書く記事が多くなります。(郵趣はありますがこれも余り頻繁に出すと切れますから)本日はコレ!
恐らく此処に集まる皆さんの多くが「オールウェイズ3丁目の夕日」は見たでしょうが、あの様な「昔は良かった!」は嘘であるを紹介した物です。
で、私が胃腸炎で唸っていた時東京で生活した時期ではないそれ以外の40年近く前の近所の様子が目に浮かんだと書きましたが、それはRS41が修理から戻り、雪が消えてから改めて本格的な撮影をしてUPしますが
確かにかなり活気があり、先月職場で看護師との会話で「家の町内は今は団子屋が有名だけど、その昔はこんな小さな町内だけど10数件も個人商店や工場含めてあった活気ある町だったんだ。」と話したのもこの記事をUPする理由です。
歩いて行ける範囲内で、ほぼ日常生活は困る事無い商品は揃えられるのが私の町内でした。因みに当時の町内会長はひいお爺ちゃんでした。
さて本日の本題!
昭和30年代はブラックだったは、私見では都心部ではないでしょうか?当時を知る地元の人の話では、「あの頃は良かった!」と云う割合がとても多かったですし、特に商売をしている方がそう云います。
私の元上司(63歳)で関山の山形県側の転落事故で犠牲になった児童と同期の方もやはり同じ事を云うし
「あの頃に戻りたい」と云います。やはり上司の実家は駅前で市内で一番大きな菓子販売製造業を営んでおりました。(上司はそこからある大きな果樹農家へ婿入りし今は立派な「農業」者です)
で、そう変わらない年齢のお袋は・・・「あの頃に戻りたい」とは云いません。
こんな感じの道を走りました。