昭和30年代あちこちで見られた乱暴な運転で、とんでもないノルマを稼ぐタクシーの事を云います。
昨日UPした本当は怖い昭和30年代にもありますが、あの当時1日1万円の売り上げを上げよと云うハチャメチャなノルマで、それこそ交通法規もヘッタクリもない酷い労働環境がタクシー業界だったそうです。
昭和39年になりタクシー業界の規制法が制定され、すぐに神風タクシーは姿を消しました。
関山のブルーバードでUPしましたが、関山の怪談で「タクシー運転手が女の幽霊を乗せた。」とありますが、恐らく仙台市や山形市のタクシードライバーでも高齢ドライバーに聞いても恐らくは全員経験が無い筈です。
もしこの地で乗せたとならば法律違反に問われますから。これもタクシー規制法の1つです。
以前紹介していますが、今回は1963年式RS41の日本交通タクシーカラーです。
できればファインモデルでもこのタクシーカラー欲しいナァ。
恐らくこの1963年式の時代は神風タクシーは微妙な時代です。
このカラーは昭和43年以降は姿を消します。
ドアのローマ字表記、東京五輪で訪れた外国人にとって相当理解に苦しんだ筈。
唯、あの当時未だ「本当は怖い」につるし上げられる行為を当時のドライバーはしていました。
東京五輪で訪れた外国人に対して、日本語が話せない事を良い事に人気のない所に連れて行き暴行を働き金銭を奪う事件が後を絶ちませんでした。
当然ですがこれは皆や皆ではないでしょうけど。
RS40の神風タクシーはどんな物だろうか?RS30系と比べて全体的に飛ばしやすい構造になってと聞きます。
当時良く見られたのが都電のロータリーに衝突してタクシーが逆立ちしている所と聞きます。
1963年式時代ともなると都内はコロナ、ブルーバードは少数派になります。
それと1963年式の時代は未だLPGはなく、ガソリンエンジンのみでしたし、日本交通でも昭和39年以降LPG採用ですが、一部はガソリン車も残しての営業でした。
その残党が・・・・山形市に昭和42年にやって来て、46年まで高校の運転講習教室の車輛。46年~平成元年3月15日まで私の玩具代わりになり、強烈な40系マニアへと変貌させてくれたのです。