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Channel: 高村円淨のブログ
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クラシックカーレビューイン高畠2014

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 前回はオースチンを紹介しましたが、今回はその卒業制作のセドリックです。・・・・と云っても初代は横目のH31も来ませんでした。毎回ですが初代セドリックはこのイベントでは見た事無いのです。確かに3台は初代が県内にも有りますが、出た事が無いです。
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  秋田から参加の中期型。
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  これも山形県外からです。大都会シリーズを思い浮かべるモデルです。
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  これも県外から。デラックスとなって居ますが、高グレードを低グレードに見せる物も少なくないですが、此方は本当のデラックス見たいです。
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  まぁ、こんな感じで。
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 タテグロですが、一寸気になったので。
 
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 此れです、此れ。以前ひっぱり屋さんから頂いたステッカーと同じでした。(つまり私の今つけているステッカーと同じ)本来は「排出ガス対策済」ですが、其れがないので、此れになったのでしょう。でも「ボケ」は違反ですよ。此れは剥がせとなったら素直に剥がすしかないですね。此のあたり理解しているのだろうか。

昭和館 その1

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 高畠の旧商店街にはこの様な古い建物が残されて居ます。今回案内します建物は元は一寸した雑貨屋さんではないか?と思われます。
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 入り口が何とも云えない懐かしさ。取り壊し前の当家もこんな感じの入り口が有りました。
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 室内にはわが家にも有った様な物が有ります。テレビは我が家に有った物は更に古い物です。
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 足踏み式ミシン。ひいお婆ちゃんの物が有りましたが、使い方判らず廃棄しました。因みに私裁縫できません。
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 テレビと電話機。先ず当時こんな置き方はしませんが、黒電話も懐かしいです。

昭和館 その2

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  容量が少ないのでその2へ。
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 昭和30年代のラジオです。
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 色んな雑器類です。
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 戦後すぐの真空管ラジオ。実は此れ当家に1台有ります。
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 裸電球も懐かしいです。

収穫祭 その1

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 さて、此処6年食べている米に職場の元上司が作って居る、天日干し米があり、今年も1俵購入しました。手間のかかる天日干しの米ですが格安価格で頂きました。
 
 新米もそろい、此処で郵便局企画の大型トロ秋刀魚を注文。6尾で2000円以上しますが、地元のデパートで同じ秋刀魚を買うよりそれでも安くこれもここ何年郵便局から買って居ます。
 
 そしてその秋刀魚に添える大根おろしは自分が作った大根でないと不味くて喰えないので、この時期に確実に収穫出来る様に作ります。
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 うっ!だせ~っ!な大根です。此れは他におでんも作りましたが、おでんの味付けを巡りカミさんと喧嘩になり、写真はUP致しません。
 
 私はあまじょっぱく色が濃い鰹やこぶだしが利いたつゆが好きですが、カミさんは薄味京風が好みで喧嘩になります。結局カミさんに任せました。
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 此れが主役の秋刀魚!でっかいです!ほれ、グリルからはみ出ますから、斜めにして焼きます。脂が載って旨い!それに直送ですからデパートで買うより新鮮です。残り4尾はお袋と妹夫婦に分けました。
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 天日干しの新米。60キロで1.5万円ですから格安です。済みません、何時も。
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 此れはおでんに一部入れましたが私が作ったキャベツでロールキャベツを作りました。

収穫祭 その2

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 さて、秋刀魚が焼きあがりました。
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 脂が流れ美味しい音がしました。
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 だしを効かせてシンプルにわかめの味噌汁。
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 秋刀魚と、大根おろし、そしてそばつゆを少し掛けると絶品です。
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 ごちそうさまでした。喧嘩はしましたがおでんも美味しく食べました。

秋の関山道、旧R48の紹介

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  毎年この時期のトヨペットクラウンデラックスでの紅葉狩を行って居ます。R48のまた違う美しさを出す時期です。
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 写真は手当り次第で撮影し綺麗に行った物だけですから場所はバラバラです。
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 こちらは宮城県側かな?
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 此れもですね。
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 ここ2週間ほどの話ですが、旧R48の路線を知りました。又既に紹介した場所もその一部である事も判りました。詳しくは下記のHPを参照のほど。尚路線は現道と然程変わらない感じがしました。
 
この写真は旧R48の一部で東根市関山下悪戸のルートに有ります。此処での写真が良いと考え撮影しました。
 
 はっきりは判りませんが、多分私の車が新車の頃は未だ現役のR48の可能性が有ります。実際R48は現在の半分程度の道幅の証言も有るので先ず間違いないでしょう。そんな中ODをOFFにしてオート三輪やアポロウィンカー付きのトラックに混じって、エッチラホッチラ走ったトヨペットクラウンデラックスの姿を想像して頂ければ幸いです。
 
 尚関山峠の現道工事開始は昭和38年の10月とされて居ます。
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 左のブロックはごく最近の工事でしょうけど、現役時代は鬱蒼とした杉林の中の砂利道を走ったのでしょうね。基本当時も街灯があったとは思えません。シールドビームライトが頼りだった筈。
 
 大叔父が「市長、間もなく高村さんのお宅に着きますから。」と煙草を吸いながらこの道を走ったかも知れません。これもご想像の程を。
 まぁ当時山形では自動車なんて極わずかですから、此れでも問題が無かったでしょうね。
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 以前撮影した下悪戸の石碑前。此れだけあるから、何らかの街道だったとは思いましたが、やはり旧R48でしたか。
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 江戸時代は間違いなく賑やかな所だったでしょう。
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 夕焼けが綺麗だったので。R48沿いは魅力が一杯です。ブログ仲間の皆さんにも是非私のクラウンで案内したいナァ。
 
 撮影場所はR48沿いの東根市猪野沢(いのさわ)です。

関山隧道宮城県側

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 関山トンネル宮城口から大よそ300M程走った右手側の一寸した広場に旧道の入り口は有ります。但しガードレールで蓋がされており、徒歩以外での侵入は出来ません。
 
 名のないコンクリート橋そのものからも樹が生えて居り自然に還ろうとしている感じがします。写真を撮影しましたが、何処がどうだか判らないレベルでしたので、掲載はせず別の借り物写真で出しました。
 
 ただハッキリしている事は山形県に行く場合、ハンドルを左に大きく切って、右斜めに運転すると確認できましたが、冬季は凍結でスリップしたら怖いナァと思うし、冬季でなくとも運転は難しく自動車を運転するには不向きと思える代物です。やはり当時は自動車その物が無い時代なので何とかなったと思います。
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 トヨペットクラウンでラックスの奥が入口になります。場所を知らないと見過ごしてしまいます。
 
 やはり左に大きく切って登りますから、一旦ローに入れないと登れません、前に鈍重なトラックが居たならば間違いなくローで此処から頂上までローでないと登れません。ODなんて論外です。
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 反対側より、紅葉が綺麗です。
 
 この車が新車当時はこの先は山その物でした。10月から工事が始まりますが、「完成は何年先だろ~?」となる筈。
 
 基本私の車は殆どの時代をこの旧道を走り現道は山形58ナンバー以降走ります。(基本的に昭和43年までしか車らしく走らせてはいなかったのです。レストア終了までは私もこの車15年間で20回は乗って居ません)
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 この通り何処がどうやら?
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 比較的判りやすい写真を発見したので、
 
 この橋を渡ると直ぐに山路に入り暫く右斜めに走り、程なくしてキツイ勾配が有る筈です。先程鈍重なトラックが居ると・・・と書きましたが、やはりローギヤーへのシフトダウンは避けられません。他のHP見ると広場も有るのでそこでセカンドでしょう。サードはとてもつかえないでしょうね。
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 此れは先程の橋から程なくした所に有ります。
 
 昭和41年8月8日、この付近でF.Yさん、T.Sさん(実名が入って居ますのでイニシャルで)事故を起こし亡くなりました。翌年の8月にこれを建立し、「教職員有志一同」もあったので教師だった方ではないか?と思います。
 
 若い教師ですから、恐らくスクーターで事故を起こしたのだろうと推測します。(当時スクーターの2人乗りはザラでしたし、基本ノーヘル)現役道の頃は此処が関山ルートで2番目の事故多発地点でした。
 
 その2年前の39年8月は母子が自動車転落事故で犠牲になりましたがこちらは山形県側。この2人が幽霊になって現れると大騒ぎになりました。
 尚子供さんは私のお婆ちゃんが当時勤務していた小学校の児童で、当時は学年主任だったお婆ちゃんで担当は高学年なので該当者はいないそうですが、その下の学年の児童では?と生前云って居ました。

果樹の消毒

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 果樹に消毒をした後ですが、こんな風になって居ます。
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 巨峰。今年は品質は例年にない良さでしたが、カミキリムシの幼虫に食害される被害があり、例年より少ない収穫でした。
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 柿。今年は昨年有ったヘタが割れる事がありませんでしたが、8月22日の雹害で2割駄目でした。
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 食べられるか判りませんがクラウンの左前輪付近にきのこが生えて居ました。此れはお礼肥の時全て潰しました。(その後続々生えて驚きました)

キャベツ等

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 白菜。此処まで育ちました。
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 キャベツの中生。かなり大きく育ちました。早生は5つのうち3つ収穫して食べました。
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 ホウレンソウ。こちらも収穫進んでいます。
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 大根。順調に生育中。こちらは主に冬場の貴重な野菜です。
 
 これ等の野菜は、雑草を作物の1/3程度の大きさまで生やして育てて居ます。

お礼肥 巨峰、スチューベン

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 来年の作業の始まりでもある「お礼肥」。葡萄、柿の施し全て共通管理をしました。
 
 *一番初めに「万作ぼかし(市販品)」を適量施し、牛糞堆肥も施す。幹、根周りを良く耕して(深さは15センチ以内)、ならした後「魚粕」を適量施し、その上に米糠、燻炭もみ殻を施し、次回は落ち葉、豆腐カラ、生ごみ堆肥の順に施します。(こちらは実施後UP致します)
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 クラウンが置いてある棚の巨峰。
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 反対から。この付近にきのこが沢山生えていたのです。
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 スチューベン。
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 巨峰。此方が実止まり以降生育が早いと云う変な樹です。何故だろう?

お礼肥、トマトの撤去

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 お礼肥その2です。
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 ナイヤガラ。
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 柿。
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トマトを撤去しました。刻んで畑全面に残渣を撒きます
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雑草に被せて腐らせて除草、此れは夏場からです。

追肥

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 果樹以外でも、冬物野菜に追肥します。
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 キャベツ、白菜。雑草は作物の丈1/3以内の高さに調整して害虫の天敵を住まわせます。それにより消毒の使用を減らします。
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ネギ、大根です。

クラシックカーレビューイン高畠2014

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 逆輸入のダットサンフェアレディです。国内仕様の物は程度良いタマは中々有りません。やはり60年代車の宿命なんでしょうね。
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 1967年式でしょうか?私は良く判りません。
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 オリジナルホイール&キャップは国内、逆輸入問わず中々無いそうです。
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 左ハンドルです。何処の国からやら?
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 こちらは1965年式です。
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 町内パレード出発前です。
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 こんな感じでパレードしました。
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 結構前のフェアレディ、かなり白煙が目立ちました。故障なのか、それともノロマのパレードが原因なのか判りませんが、調子がイマイチでは?

同窓会の写真

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 数日前8月16日に行った同窓会の写真が届きました。25年ぶり合う仲間たちですが、皆良い連中です。今回3枚出しましたがその中に私が居ます。お会いしたことが有る方なら直ぐ判りますが、出した写真の人たちとは特に仲が良く、当日も声が枯れるまで話したり、カラオケをしました。
 
 皆40代とは思えません。無論死んだ親父の話も盛り上がりました。親父!アンタは皆に慕われた教師だよ!恩師の先生も強く記憶されて居ました。
 
 因みにと云う事で親父の遺影(モノクロ)を参考に探してみて下さい。禿げては居ないので頭を余り注目しない事。
 
 余程嬉しかったのか、通常写真では真一文字の顔ですが、笑った写真が非常に多かったです。当日限りの浮気!?(だからお前はサイテーなクソボーズのままなんだよ!)で女性軍団と色々と・・・・。
 
 同級生も「円淨、相変わらず女っタラシ治らねぇ~ナァ!」・・・・ウッフォン、
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 乱文失礼致しました。次回は49歳の時を予定しています。もう少し坊さんとして見られる様に??無理か!
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 親父です。写真は昭和59年、40歳の時の写真です。無論親父は私のクラウンを運転した経験が有ります。最晩年の43歳の時も運転したことが今回判りました。
 
 親父が亡くなって49日までの間に私等の同窓生の中に親父の霊を見たと云う話もありました。幽霊が運転したクラウンが私のクラウンですかね?
 
 親父との思い出は、ナント云っても月に一度「お好み献立」と云って給食で好きな物をリクエストする企画がありますが、親父が我がクラスに来て、私がお代わりしない様に監視していました。
 
 特にフルーツポンチの時親父が居ても我慢できずお代わりに行くと「このブタ野郎!」と怒られ、拳骨を貰いました。お代わり前より減るオチが付きました。
 
 でも親父と食べた給食は美味しかった!家で飯を喰う以上旨いのです。

母校の周りの風景

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 昨日は同窓会の写真をUPしましたが、余計母校付近の風景を案内したくなりました。
 
 R48沿いでは有りませんが、R48沿いから程なくして到着しますし、看板はR48沿いに大きく建て掛けられて居ます。
 
 母校の特色に「果樹園に囲まれた校舎」と有りまして、外周マラソンは確かに果樹園の中を走ります。私は柔道部の外周ランニングで何度かさぼって、桃園の中にある1964年式のコロナラインPT36Ⅴを見入って、農家の方から桃を頂いて、それから戻ると顧問や、柔道場の隣の県道部で顧問をしている親父に怒られたりしました。(親父の顔は昨日UP参照)唯残念ながら顧問も親父も同じ昭和62年に亡くなりました。
 
 もう一つ私が昔から感じていた事ですが、アツアツの煮込みやおでんの香りがする感じがする土地です。一番初めにUPした写真に確かに美味しい煮込みを食べられる店をUPしましたが、当時は店の存在は良くわかりませんが以前から感じて居ました。
 
 以前から良く書いて居るR48プチ観光、どうですかチラリ母校を外から見るのも!私は良い思い出がありますね。
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 この手前の建物が良い雰囲気です。その隣が煮込みが美味しい店。私が中学時代から変わりません。
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 此処も煮込みやおでんの香りがしそうな風景です。此処はR48沿いで、私が中学時代のままですよ。
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 外周コースの一部。以前はこの付近にコロナラインを始め、マツダB360、ダットサントラック520の4灯火等が有りましたが皆無くなりました。
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 元山形交通バスの「ざおう号」昭和46年式です。記憶では昭和54年に車検切れで、当時としても短命なバスでした。最近判りましたがUDのバスだそうです。
 バスは詳しくないですが、恐らく観光バスとして購入した後ワンマンバスに転用した個体では?との話しです。
 この奥に果樹園があり、こちらにはパブリカUP10,スバル360のカスタムが有りました。こちらは陸上部や野球部のコースでしたので走りませんが、部活が終わってからや、下校時に廃車を見に行きました。
 
 *今の中学生の親は私等位の年が多い筈。彼らの目から見てこのバスはどう見えるだろうか?興味あります。

お礼肥の仕上げ

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 巨峰をUPしました。(他の果樹は後程)
 
 私は前回のお礼肥のほか、生ごみ堆肥を使いますが、使うにせよ先ずは鶏糞、落ち葉、此処が重要「豆腐カラと米糠を1:1に混ぜた物、魚粕、生ごみ堆肥の順に施肥します。
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 作業中は撮影出来ないのでその終った様子。
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 こちらにも。落ち葉は運動公園の落葉樹の葉っぱを使います。
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 きのこは全て潰しました。
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 もう一つの巨峰もです。

お礼肥 続き

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 先程の続きです。施肥方法は同じです。
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 スチューベン。特に頑張ったから多目に撒きました。
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 ナイヤガラ。こちらも頑張ったので多目に。
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 柿。大きいので結構撒きました。

徳大寺有恒氏逝去

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 自動車評論家の徳大寺有恒氏が11月7日逝去されました。享年74.
 自動車評論家として大成された数少ないお一人でした。昭和14年栃木県生れ。トヨタのレーサーとして活躍され、自動車用品店経営、タクシードライバー等の後、評論家となられました。
 私は徳大寺氏と初めてお会いしたのは、数年前の糸魚川ミーティングで、一昨年が最期となりました。あの時の状態としてかなり糖尿病が進行されて居る様子で「しんどそうな」感じがしまして近くにいた旧車クラブの方に聞くともう運転は出来ない状態で脚まで症状が出ていると聞き私は直感でかなりのものと思いました。
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 比較的最近の写真と思われます。実は徳大寺氏はRS40型クラウンで本格的なラリードライブを覚えたと聞きました。
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 昭和38年の夏実家に戻ると沢山のRS40があり、当時はお盆ともなると猛烈に忙しくなり時々タクシーの予約を事務員が書き忘れる事があり、そんな時普通の運転手さんが行くと、時間に間に合わなかったり、挙句散々嫌味や苦情を云われるので、多くが行きたがらず、徳大寺氏が毎回その対応をしたそうです。「僕が運転すれば先ず間違いなく時間どおりに到着して、列車に遅れさせた事は無かったよ。」と話されました。
 
 RS40系ともなるとRS30以前のモデルよりスピードが出て、時には140キロでぶっ飛ばして、忘れられたお客を目的地にきちんと届けたと話されました。又当時は全てガソリンだったのでLPGよりスピードが出たそうです。無論どのお客も「失神して」ヘロヘロになったそうでした。
 
 「僕にとってもレーサーとしてはパッとしなかったけど、ラリーに転身してその後は嘘の様に勝ち続け、そのきっかけはRS40型クラウンであった。」との事、徳大寺氏も当時を懐かしそうに我が車を見て語られました。
 
 昭和38年の夏は確か我が家も・・・・・当時は自動車が少ないので出来た技ですね(笑)

小林彰太郎氏

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 昨日は徳大寺有恒氏の記事をUP致しましたが、徳大寺氏が評論家になるに辺り参考にした書き方が小林氏と聞いた事有ります。
 
 小林氏はCG誌を昭和37年2月に誕生させその年の11月にはRS41の試乗体験リポを掲載して居ります。
 
 昨年小林氏は逝去され、徳大寺氏と小林氏追悼の意味を兼ねてRS41の記事も有ったので今回は予定を変更して、2日連続でRS41関係の記事をUPする事にしました。
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 小林氏が新型クラウンに対してのリポでの評価ですが、「ODは今回の試乗では使い物にはならなかったので、予めOFFにした状態で試乗している」とありました。
 
 結論として「この車は4速MTが一番適合する車である、3速MTである事は非常に残念、4速MTにすればもっと良い車になる筈である。」とありました。
 
 まぁ、此処に集まる皆さんは3速でなければならない理由は痛い程お判りと思いますが、どうしても崩せない「タクシー市場」と云うデッカイ牙城が聳え立ち、これを無視すればたちどころに「売れない車」に成り下がります。恐らくトヨタも4速にしたかったと思います。
 
 タクシー市場を無視しそうなプリンスとて、4速目は「4」とせず、ODと表示した位ですから、さしものプリンスとて躊躇ったのでしょう。トヨタは外付けODで4速目を対応し、大きな市場のタクシー用は3速まんまで発売する手を打ちました。日産は4速と1963年式まではしましたが、最近聞いた話では、1速は事実上エクストラローであり、基本殆ど使わないらしいです。当時のタクシーは2速から発進しました。
 
 それと当時運転した方の話では、都心でも基本ODは使わずワンワン五月蠅いエンジン音で走らせて居たそうです。まぁ私が物心ついた時点でODは作動していたのか不明ですが(壊れていた可能性が99%)本当の意味で山形の地でODを使ったのは平成になってからですね。先駆的でしたが、余りに先駆過ぎな構造でした。セドリックの方式が現実的だったのです。
 
 
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 こちらはトヨグライドで当時6万円増しでした。
 
 小林氏はこちらは試乗しては居ませんが、此方の方が使い物になったみたいな評価が有りました。
 
 でも結構故障しやすく取扱いとなると大変でした。万が一我が家の車がこれなら・・・・。悲惨でした。
 
 現存車3台知って居ますが全て1度や2度OHしたそうです。

クラシックカーレビューイン高畠2014

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 暫く中断していましたが再開します。
 
 今回はオート三輪と、それを駆逐した4輪トラック。
 
 昭和37年に最盛期を迎えたオート三輪ですが、この頃を前後し、トヨエースを筆頭としたキャブライト、ロンパー、ダイハツデルタ等安価な小型4輪トラックが登場し、次々と前時代的なオート三輪の駆逐に成功します。
 
 然しこの30年~40年で、大きな変化を迎えました。辛うじて残ったオート三輪はレストア、保存への救済がありましたが、駆逐した安価な4輪はスクラップへの道を辿り残ったとしても救済の手が伸びず、バブル期を迎えても救済されず絶滅への道を辿りました。
 
 同じ事がクラウンでも見られます。クラシカルに見える初代も辛うじて残ったモデルは昭和50年前後に救済されましたが2代目は救済の道が21世紀に入るまで有りませんでした。その為特に1963年モデルは残存は他の2代目より群を抜いて少なく程度の良い個体は有りませんでした。
 1963年モデルはRS30系のドナーになりました。
 
 そんな訳でオート三輪と駆逐した小型トラックの記事のUPです。
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 やはりこの廃車体を発見したらこちらを残したくなりますね。
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 リヤより。質実剛健な作りですね。
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 この10年脚光を浴びた発動機。
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 トヨエース。此方だと未だ幾らか残って居ますが、シングルナンバー付は全国で何台のれべるでしょう。
 
 一応ワンオーナーで、現オーナーが私同様、親に残して欲しいと懇願して残りました。ナンバー付ですから羨ましい!我が家はナンバーを切るが条件です。
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 オーナーは私と同じ年齢見たいです。10年程走らない時期があり、レストアして此処まで復活させたそうです。
 
 此れの前の丸目2灯火のトヨエースが私は好きですが、こちらとなると多分新潟にあるあの1台、岩手に20年ほど前スズキ城○さんが今の土地で発見した1964年式の三方開きが1台しか確認していません。
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