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ダットラ軍団その後

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 昨年驚きの発見をしたダットラ軍団ですが、特に変わりなく残って居ました。一番奥の最古参ダットラ221型からキャブライトは数十メートルしか離れて居ません。
 
 不思議な事はずっと作りがチャチで朽ちやすいキャブライトが綺麗に残るが、そう環境が変わらない所にあるダットラ達はグサグサです。
 消毒の強さの差が大きい感じがします。
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1960年式ダットサントラック221型。蔦に覆われ何が何だか判りません。昨年の写真を参考に。

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221の次に買っただろう520型。昭和41年式。
恐らく221型は6年で廃車かな?
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620型。但しこちらはスタンダードで多分ヨコハマヤイヤのカラーです。中古で買い足しと思います。

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次の車でもそうですが、なぜか皆ドアが開いて居ました

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620型デラックス。520型の後継車で、多分昭和50年式かな?520型は9年は使ったでしょう。
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此方も何故かドアが開いて居ました。
タイヤは夏タイヤと冬タイヤの混合で、結構なボーズタイヤでした。多分520型の使い回しもありそう。

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エンブレム。誇らしげです。


今オークションに出ている

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 今オークションに出ている1963年式RS41C改MT車です。
 出品者は大阪の方ですが、元は中部地区の旧車ショップが暫く持って居た物をオークションに出して、その後1年前後で手放し、今回98万円からスタートで出して居ます。この写真は中部地区業者が所有していた頃の写真です。

 決め手はウィンドーウォッシャーの形で他にも黄色い増し締めのペイント等も有ります。

 出品者の話では昭和45年に廃車したがナンバーは「岡5」が付いて居ます。多分返納しないでそのままにしていたのでしょう。従ってこの「岡5」は登録できません。

 
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 トヨグライド改MTにした時ステアリング周りを昭和39年後期以降の物に入れ替えました。ステアリングシャフト等がそれ以前のモデルとは違い、ダッシュパネルを切り取って後期型を移植しています。
 多分ですが、昭和41年辺りにトヨグライドが壊れ、後期型のステアリング関係部品で修理したのでしょう。
 
 基本的にODシステムは写真では付いておらず、トヨグライドデフを使いRS40と同じ駆動系で走って居たと考えられます。

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 クーラーはトランク型ですが、オークションで確認した所、1964年式以降(或いは昭和39年後期以降)のタイプでした。
 此れでも非オリジナルと断言出来ません。当時はクーラーそのものがベラボーに高くて車を購入して少ししてからクーラーを購入は結構ありました。
 そればかりか、クラウンなのでデンソー製ばかりがオリジナルではなく、予算に応じて安いオプションも選ぶ事が可能でした。尚クーラーは自動車取得税が購入価格の10%(昭和43年から15%)課税されました。

近所の風景

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 近所の風景をぶらり撮影しました。あてのないドライブです。
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 イバラトミウオの棲息する川の上の橋です。夕焼けが綺麗だったので。
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 ついでに自宅に帰り、何気に向かいの風景でも。
 あ~あ、お向かいは商店経営のGさんのお宅だった、このお宅もご子息が北海道の大学で教授となり戻れる様子が無く、Gさんも高齢でお亡くなりになられ、結局は土地を3分割にして売却。
 もう昭和25年から住んで居る家は当家のほかNさんだけとなりました。皆新しいお宅ばかりです。
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 気晴らしに夜桜。上手く撮れない。

クラウン8誕生51年

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昭和39年の本日クラウン8が発売されました。
前年の全日本自動車ショーに於いて参考出品と云う形で          発表されて好評を得たので発売されました。
開発者はクラウンの主査として有名なN主査と思われがち
ですが、実はその部下の役職がないMさんと云う方で、現場からは
「そんな人で大丈夫なのか?」と声が上がったと本人が証言されてました。

尚この車ははクラウンとは関係が有りません。
参考出品の段階から「トヨタ」クラウン8でした。
つまり昭和42年発売のセンチュリーの初代モデルです。

当時は5ナンバーフルサイズカーが各メーカー最高モデルでしたが、
東京五輪開催決定となるや(昭和34年5月です)好景気に沸き、5ナンバーフルサイズカーでは物足りない人が現れて当時はプリンスグロリア以外だと皆外車に流れ、3ナンバークラスの市場の開拓が急務でした。
然し自動車何て買える層は極わずかで、昭和39年頃まではローン何て
気が利いた物は無かったので、全く需要が無いとならば無駄な開発費を投じて終わりとなりかねず、どのメーカーもフルサイズカーの名前をと部品を使い3ナンバーの開発をしたそうです。日産ではセドリックスペシャル、プリンスはグランドグロリアを投入しました。
日産は全幅を買えずに全長を大きく伸ばし、プリンスはG11エンジンの投入&豪華な内装、クラウン8は若干全長を長くして、全幅をかなり大きくしました。実際8のバンパーを見ると、明らかに既存品のバンパーに付けたして長くした痕跡がどれにもあります。
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 一先ず写真を発見したので。此れが初期型。
グリルバッチの右は不明ですが、隣が東京五輪バッチ、多分1964年式とそこで判断して初期型としました。
 アレレ?フロントガラスの左端にステッカーが??駄目でしょ?車検当時でも通りませんよ。
 でも大丈夫本当の金持ちなら車検前に手放すので。

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 ここ最近聞いた話ですが、何時もの如く市長の奥方が私のひいお婆ちゃんに「高村さんのおばぁ~ちゃ~ん」と声掛けして「はいよ!」と貸し出し大叔父が東京まで運転しました。
 駐車場の停める位置も上下関係があり、田舎の小さな市の市長ですから下座の出口側に近い所でしたが、会合の主催者の車がクラウン8と推測され、これが一番の下座に停まります。
 会合が終わりサァ帰宅となった時、クラウン8の弱点、オートロックがトラブルを起こして皆さん出られなくなりました。
 上座は当時雲の上の世界の外車がズラリでしたが、そのオーナーの1人が気が短い方らしく癇癪を起して
 「所詮トラック屋が作る車のレベルはこういう出来損ないなんだ!」と怒って皆が必死で対応している中そそくさに別の手段で運転手と車を置い帰ったそうです。
 
 残念ながらこの癇癪を起した何処かの会社の会長か社長の云う事はその通りで幾らクラウン8とは云えど、トヨペットクラウンデラックスのユーザー層に少し毛が生えた程度のユーザーですから、マダマダ本物の金持ちの食指に掛かる物では有りませんでした。
 
 この話は昭和39年か40年の頃だそうです。何処かに一泊して恐らくは関山旧道をひた走りと思い、またもや旧R48で撮影しました。当時は今の関山道を工事して居た頃です。

 話は私が旧車馬鹿になった昭和50年~55年にかけてですが、当時は国産旧車は評価対象外です。専ら外車の旧車しか評価が無くつい最近まで外車信仰が旧車の世界でした。やはり国産フルサイズカーは一代成金みたいな層とされる所以かと今思って居ます。
 まぁ我が家はクラウンの後はカローラやらサニー、マーチだけで間もなく軽4になりますから・・・ハハハッ。やはり次のフルサイズカーには移行できませんし、大きくクラスダウンです。最もそんな車買う金が何処にもないのですけど(笑)

 ついでに、お袋が今年マーチ(平成19年式)を手放し、妹にあげて妹の軽に乗り換えです。来年が車検なので、結構ポンコツだから買い替えてストップアシスト付きの軽に買い換えるそうでう。


仙台ベースさんの記事から

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 以前から読まれて居る方は「またか・・・」かも知れませんが、一寸書きたくなった事が出てきたので「またか・・・」の声は無視して書いちゃいます。

 先ず仙台ベースさんのケース。あくまで推測ですが、平成4年に一時抹消登録した時の書類が有るにも拘らず抹消状態での移転登録に時間が掛かったとありました。
 此れは平成16年のシステム変更で旧来の昭和46年4月(山形)からのシステムを廃棄したので旧システムからの情報の収集に手間取ったと考えて居ます。
 それと平成16年以前の登録抹消で書類を紛失するとこれまで以上厄介だろうと見て居ます。

 バブル期の話ですが、H運輸大臣が選出されたO県で実際有った話ですが、コンテッサPC10(初代の900㏄)の書類なし車があり、無論陸運事務所では登録は無理と断ったが、H大臣の支持者だったコンテッサオーナーは頼み込んだら、あっと云う間に書類を発行しました。多分ですが5年以上経ってコンピューター上から消したとしても、何処かにデーターは保管していると思います。但し旧システムは更新すると皆処分なので裏ワザはもう通用しないでしょう。

 此処からが「またか・・・」の話ですが、私の車は悲惨です。仙台ベースさんの車は所有者がデーラーとなって居たのは非常にラッキーだったと思います。長く車検を受けなかったナンバー付や長い間登録しない車は使用者が亡くなったりして困難が付きまといます。
 
 自分の車は所有者は昭和58年より行方不明で平成3年に姿を1度表したけど、今は音信不通です。使用者はお爺ちゃんですから、平成3年に死去して、遺産分割協議書が必要ですが、相続権が有る1人が今行方不明で既に遺産分割協議は出来ません。まぁ正直書くと余りこの人とは会いたくないのです。この人は平成4年の終わりに最後会いました。
 所有者の人は会っても良いけど、多分92歳なので亡くなっただろうな。会いたくない人も72歳なので・・・・。

 まぁお袋も悪気が無く取扱い書の果てから整備記録簿まで全て集団収集ごみに出したし、当時は夫を失い半年で気が立って居ただろうし。それにお袋にとっての祖父、寝たきりに近い父親、60歳後半の母親、私たち子供2人となりどう生かして行こうかと37歳のお袋でしたから余裕はないでしょう。

 どう足掻いてもそのままでは登録は出来ませんし、今の車より程度良い1963年式RS41の黒は無いのでフレーム入れ替えとなり、今は昭和59年12月18日抹消登録と「○5 な 8653」の昭和43年か44年頃のナンバーに登録内容が変更になりました。
 それ以前は記録が無いけど、何でも石油元売り会社の社長が運転手付きで乗っていたとか何とからしいです。(普通外車かと思いますがね)
 旧車の廃車復活登録はデーラー名があると楽なんですよね~、もう同時に購入先のデーラーも難なく探せますしイザの時も便利です。

 あっ!実は私も迂闊に先月どういう経過で残ったのか判らない江戸時代の古銭10キロ程(程度悪いクズばかり)が家の外の何処かにあり、それをそのまま放置していたら、今日「先月重たい程有った汚い古銭全て捨てたわよ!」と・・・・

 多分古物を捨てる度私から「捨てて駄目!」と怒られるのでまさか65歳になった今も捨てないと思ったら・・・やってくれました。「○美ちゃん(私の娘)が悪戯して怪我すると思ったし、間違えて口に入れたら・・・・第一外に置いておく事は非常識よ!」でした。

 まぁ確かに、でもそこに置きたかったし、まさか弄るとは夢にも思わなかった・・・・。真空管テレビやホーロー看板、ブリキ玩具の車50台、トミカ300台ダイヤペット30台その他諸々こういう保管なので30年近く気が付くと集団ゴミ収集や建物解体業者に流れて居ます。

 カミさんもお袋に似た考えですからボケ~ッとしていると物は無くなります。大変大変。

 それと聖子ちゃんヘアーも懐かしいですね。私たちが中学時代も流行っていました。但し我が校は男は丸刈り、女はオカッパと定められ、その前時代的校則を推し進めたのは我が親父。
 親父は死亡時3年生担当でしたので、3年生は多くが女子はオカッパでした。私等2年生は聖子ちゃんヘアーでしたね。でもギリチョンの範囲でした。
 それがエラく似合う子が居て、エロボーズ丸出しで接近していました。昨年の同窓会でもありましたが「円淨は相変わらず女っタラシ」とまたもやでした・・・・(笑)

 親父が死去して3か月もすると3年生も聖子ちゃんヘアーになりましたね。男子は相変わらず丸刈り・・・
 
 でも親父、俺はアンタの息子で良かった、悪いけど親父からは教師としては習いたくないけども人間としてはアンタを見習いたいし、忘れ得ぬ教師です。

 親父、俺が親父の所に行った時答えて欲しい、親父の父親である可○お爺ちゃんと折り合いが本当に悪かったのか?どうも親父と性格が全然違うんだよね。
 
 親父は前時代過ぎる所有るんだよ。

230ライトバン

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 西部警察、大都会では切られ役としてお馴染みの230です。随分前から存在は知って居ましたが、フロントから見たのは初めてです。此処まで欠品が多いとは思いませんでした。
 多分STDグリルで朽ちて無くなったのでしょうね。
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 前から。最も古くとも昭和46年式ですからせいぜい56年以降から此処にあると思っていました。

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 ありゃ~、フロントガラスが外れかけている。ウェザーストリップが無いのは不自然だ。
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 幸い定期点検の残骸が。排ガス対策のステッカーも残るのでこのステッカーから判断して昭和51年。多分車検は52年切れの可能性が高い・・・・。

 て、事は6年足らずでの廃車となります。山形の分際で何て短命な。

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 このスタイルから先ず間違いなくSTDでしょうね。

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 写真には見えませんが、実は上山市と「やまびこ号」の文字が書かれて居ました。
 推測できる事は元は公用車で3~4年で払い下げして文字を消す事を条件に自家用使用して6年足らずで廃車となり物置となった。
 或いは最後まで公用車で通して6年で廃車或いは公用車のままだとキッチリ定期点検も受けるから実は昭和51年で廃車・・・・。
 当時上山市は財政が豊かでした。其れよりなにより、西部警察でも有名になりましたが競馬場があり当時は最盛期でしたね。



観桜会

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  今年の桜の開花~満開の期間が実に早い事、平年だとそろそろ花見と動く頃ですが、もう散り始めである所が県内でも多く、満足な花見が出来ません。
 この季節トヨペットクラウンデラックスは結構走りますが、今年は昨年の半分程度かな?
 前回UPした仙台の花見は撮影から3日以内に満開となりました。
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 寒河江川の堤防にて。葉山と桜をバックに。

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 前から。

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 後ろから。この風景が良いです。

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 近所にて撮影。此処も昨年比10日は早い満開です。

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 此れも昨年と同じ位置より。青空だと良いんだが・・・


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 この季節は落ち着きません。

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 これも近所にて。フラッシュ焚いてみました。何かイマイチ・・・・。




ODトラブル

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 ODのパイロットランプが草ヒロ探検の途中突然点灯しなくなるトラブルが発生しました。10回中1~2回程度しか点灯しなくなりおかしい?となり武左ゑ門さんに相談。電球切れ、メーターの端子、ソケットの接触不良と考えられるとなりました。

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 図の右上のオーバードライブパイロットランプに接続するカプラーが問題を起こしたとなります。尚カプラーは新車時の物がイマイチとなり、部品取りで手に入れた物が断然程度が良く、こちらに入れ替えました。
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 実は状況が変わりました。あれ程点灯しないパイロットランプでしたが、整備工場で点灯率が上がりました。2回に1回の割合で点灯しました。
 幸い点灯時接触不良の時に起きる「チカチカ」とした点灯が見られず、メーター裏のトラブルではないだろうとなりました。
 
 それて真犯人は「ソレノイド内部のパイロットランプのポイントバネ」でした。其れが何らかの理由で動きにくくなっただろうとの事でした。
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 ソレノイド内部となった時一番ドキドキは昨年実施したオイルシールの状態。見事に期待に応えてくれて、内部は全くドライ状態で、オイルは一滴も無かったそうです。自信持ってオイルシールお分けできます。
 それでも漏れたとならば作業で破れたと断言できます。

 まぁこのソレノイド個体は昭和41年式のMS41から外しましたが、51年まで走り、走行距離は2万キロ程度。休眠中何らかのクセが出る状態で保管されて居たのかも知れません。



R48の桜、旧R48

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 仙台市内の桜は散りましたが、仙台でも山形に近い作並は21日時点では「散り始め」でした。平年より10日は早いですね。
 となると関山も・・・・やはりです。21日時点では満開でした。今年は満足に撮影が出来ないな。
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 記憶に有る中ではこれだけ早い桜の散り始めは余り無いですね。通常は咲き始めなんですが・・・
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 昨年も撮影ホテルGG付近。

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 花見がてら旧道を見て来ました。④~⑥までは概ね状況が判りました。

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 向原⑥から⑤を走り、④方面に向かいまして、限りなく④側です。此処は慶翁桜の畑。通常は今の時期は咲き初めですが、既に満開でした。
 車の左側に石で作った物体が見えますが、此処は昔街道であった事は間違いないでしょう。
 旧道に必ずこういう石の構造物が見られます。

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 ④の前。写真も地図に出て居ます。

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 ④の所に有った大木ですが、真ん中が朽ちて居ます。危険と判断されて最近伐採されました。

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 ④と下悪戸⑤の間の道路を地図で確認してください。 曲がりくねった道が見えます。
 地図で見た所旧道が有ったとされて居ますが、どう 見ても道が有ったとは考えられません。
 下悪戸⑤から現R48までの旧道も相当落差があり道が有ったとはとても考えにくいです。年配者に聞いて確認するしか手立てがないかな?
 ④~⑥が間違いなく旧道であった事を確認できただけに今回は終わりました。その先がどう見ても疑問が残ります。
 
 はっきりしている事は原宿は私の車が新車の頃は山の中で有った事は十分推測できます。現道開発に伴い開けたと思われます。かつては悪戸が関山の中心地だったのでしょうね。


近所の山

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 1週間ほど前に近所の山で撮影しました。今は完全に花が散りました。
 桜の観光名所としても有名で、お昼頃行ったらエラい渋滞で大変でした。
 その為裏手へ廻って撮影と明日以降UP分はその翌日撮影です。
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 山の裏手です。

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 小学生時代、課外授業で良く歩いた懐かしい場所です。当時と大きく変わりません。
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 此処からが翌日の朝撮影分。

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 山頂付近です。と云ってもそんな高い山ではないですよ、気軽に散歩を楽しめます。
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 左側から。良いナァ。
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 雪洞が良いですね。此処も綺麗です。
 桜シリーズは毎年撮影しますが、葉桜になろうと全て写真を掲載します。


観桜会(これは今年の傑作でしょ)

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 撮影は4日前です。いや~こんな良い桜の見何処が近くにあったとは思いもしなかった。
 実はこの場所、「草ヒロ」ページで紹介したキャブライトやダットラ軍団が有る場所から300M前後に有ります。
 前回撮影に訪れた時固い蕾で少し遅れて4月下旬かな?関山と同じ時期かな?と思いましたが、4日前はまさに「ビンゴ!」でした。
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これは今回の撮影地では有りませんが、前回紹介した近所の桜の名所。
まぁ予告も兼ねて敢て早目に出しました。


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 ここからが草ヒロ撮影地です。こんな良い所、先ず有りません。
 当日仙台ナンバーの車でやって来た老夫婦以外誰も居ませんでした。

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 車の進行方向にキャブライトが見えます。

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 前からそのまま撮影。良いでしょ!


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 此処も綺麗ですね。

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此れなんか傑作ですね。もう解説は要りません。



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此れなんかは気に行った出来具合です。

 


トランククーラー故障!?

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 クーラー本格的始動の季節になりました。
 アレレ??何か冷え方がイマイチ。修理から14年ですからそろそろ・・・
と思いました。

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 いよいよ送風機にしかならないのかな??
 修理となると・・・金が続かないよなぁ・・・。
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 多分ガス抜けだろう、Oリング交換とかかな?と話になりましたが、そんなに時間が掛かる修理ではなかろうとなり、先ずは安心しました。
  が、本当の原因は呆気ない物でした。

 コンプレッサーの直ぐ左、写真中央の緑の配線のカプラーが抜けかけて、且つ配線そのものが余り余裕がなく、エンジンルームを磨いた時、ぶつかって抜けかけ状態にして利きがイマイチとなったみたいです。
 黒いビニールテープで固定しました。
 
 R134ガスを使い、配管変更で対応したので、本来の配線とは全然違う作りです。

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 結線以降はイヤイヤ、冷える冷える。初め利かなかったから冷たい側目一杯にしたから、アッと云う間に寒くなり、頭が「イテテテ・・・・」慌てて元に戻しました。

 購入当初ひいお婆ちゃんが「夏場こっだえ冷ゃっこぐすっど、風邪引ぐべなや」(夏場こんなに冷やすと、風邪引くだろう)と云うのも納得しました。

 因習懐古の権化だったひいお婆ちゃんでこの車に乗ったのも昭和38年の夏かな?昭和47年に80歳で亡くなるまでそんなに乗ってはいませんがクーラーは異次元の世界でした。


観桜会

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 我が市の桜も遂に葉桜となりました。山形県内で今辛うじて桜が見られる所は山形県南部の置賜地区と北部の最上地区の一部で、特に雪深い小国町だと未だ3分咲きとの話です。
 同様に桜が散ったので農作業が本格化します。
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 此処は近所の名所です。

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 撮影は6日前ですが、もう完全な葉桜です。

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 此処が一番の特等席かな?

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 でも私は中腹のここが一番だと思います。もっと良い所もありますが、交通の関係で撮影は難しいです。

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 少し郊外では毎年この神社にも足を運びます。

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 当家から歩いて10分以内に着くこちらの「イバラトミウオ」が住むこの神社が一番です。

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 今年ほどアッと云う間の桜はそうそうないです。でも草ヒロ探索でこんなに良い場所が有った事に驚いて居ます。また来年も訪れます。



土づくり

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 桜が散るといよいよ農作業が本格化します。先ずは土づくり。

 私は数年前から不耕起栽培を行って居ますので、(但し根菜類だけはしっかり耕します)苗を植える穴だけを掘って当面間に合うだけの肥料を施します。内容は生ごみ肥料、鶏糞、油粕、魚粕、燻炭もみ殻、米糠、豆腐カラ、を混ぜます。無論石灰も。
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 ネギの定植。上記肥料のほか、藁縄、ミカンの皮をプラスします。

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 此れが先程書いた肥料を施した状態。
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 かき混ぜてこの様になります。
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 ネギもこの様にしました。
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 ワラビが育って居ます。
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10日近く前なのでもう相当大きいですが、あと1年か2年は採る事は出来ません。今は生育時期ですから。
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 葡萄園の下に植えましたが石灰は絶対施してはならないので空いて居る場所に誘引したいと考えて居ます。

 GWに入ると苗の定植ですが、この苗選びが成功すれば80%収穫は見込めます。苗については後日。



奇習

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 放送開始から20数年の「開運なんでも鑑定団」ですが、山形県では東京等が放送して2か月してからの土曜日の9:30~となって居ます。
 山形での放送で4月25日放送の出張鑑定IN遊佐(ゆざ)に奇習で使うブリキ玩具が出てきたので今回紹介いたします。

 遊佐町は山形県にある庄内地区の小さな町で旧車イベントも結構盛んです。そんな町ですが、迎え盆、送り盆の時自宅の軒下に自動車や列車、飛行機などの玩具を吊り下げご先祖様をお迎えするそうです。

 遊佐町に限らず全国各地の一部でもこういう奇習が有ります。

 我が家では私が若かった頃古来の茄子やキュウリに楊枝を挿して馬や牛に見立てるやり方をやって居ましたが、30代以降は止めました。お婆ちゃんの父親(ひいお爺ちゃん)や大伯父がやって居たのを若い頃真似ましたが、当家ではそういう風習は元々有りませんので止めたのです。

 依頼品を見ると屋根に紐が通されて居ますので、多分未だ現役のお盆用自動車ではないでしょうか?
 特にこの奇習は1960年前後に流行った気がするし、他にも過去にスバル360の出目金が出て居ました。


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 これがそのブリキ玩具。箱付きで程度が良いそうです。鑑定価格は10万円(本人価格は1万円)でした。

 鑑定士は木澤さんですが木澤さん曰く、「日本のコレクターは小さい方が良いとされ、特にバンダイだともう少し高い価格」との事でした。
 確か依頼品は30数センチだった記憶が??
 となると、私が昭和53年1月15日に買って貰ったそれは40センチなので価格は付かないな(笑)因みにレストア済みなので価格は3万円付きません。

 実は以前出張鑑定IN山形に出て居ますので間違いないです。でも小さい方が良いは知らなかった。



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 久々にそのバンダイを出しました。今は飼育中の「ピンク怪獣」に怯え出せません。
 「チャッチャッチャ~・・・がぉ~!」
 と吠えて破壊されます。更にウサギちゃんが集団収集ごみに出しかねない。

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 こんな箱はビリビリ」破るでしょう。

 それと我が家でお盆に飾るとすれば親父はこのクラウンの運転で「アリャリャ、コラム噛んだ!」「ODの操作が慣れないナァ!」ムニャムニャで、

 「お~い円淨!こんな車用意するな!」と云うのではないでしょうかね~(笑)



新しい病院

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  トヨペットクラウンデラックスが快調なのは、今回紹介するテクノアートさんのお蔭なのです。創業は昭和60年で今年30年。この度山形市内に支店をオープンさせました。開店は5月3日ですが、一部のお得意さんを招いてプレオープンし私も行って来ました。

 
 過去にエンジンOH、配線引き直し、足回りの完全調整等何かとやってくれました。レースで鍛えられた業者さんだけあり良くやってくれます。
 
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 元はBMW山形の店舗で、それを買い取りオープンしました。

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 店舗の中には名だたる外車が沢山ですよ。

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 本店の何倍もある大きな工場です。

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 安心して今後入院させられますね。


最近の様子

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 ご無沙汰が続くVNY30ですが、元気に走って居ります。前回からの車検より1100キロ(4か月で!)走行しました。
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 ユーザー車検の時のページを参照してください。本当にこれだけしか走って居ません。

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 前回カミさんに載せるなと云われたので、メーターだけ。こちらは「うさちゃん号」ナンバーは変更予定(笑)順調に伸びて居ます。

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 変わりのない姿ですが・・・・

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 実は最近農作業でボンネットを引っ掻いて補修ペイントでミラエッセ用ノタッチペンで補修しました。
 商用車ならではの補修です。
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 あっそうそう、ホイールキャップが前回右前輪のホイールキャップをスチールキャップにするとズレる現象がありましたが、ホイールに問題が無く、もしかすると、足回りの何処かが??と思う様になりました。

 今の所問題はないし、片ベリが無いので何か異常が有ればその時修理と考えました。樹脂キャップにする分には全然ズレません。

* VNY30は休日は殆ど走りませんが農作業の季節は走りますね。


萌芽の時

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 今年は桜がアッと云う間に咲いて、散ってしまい葡萄の芽も早く活動し始め慌ただしい日々を送って居ます。
 さて芽が膨らむと次は根元に米糠を撒きます。此れにより葡萄の糖度が増します。
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 クラウンの上にある巨峰。実止まりまではこちらが早い生育ですがそれ以降収穫となるともう一つの棚に大きく遅れを取ります。
 ついでに書くと実どまりの時にも米糠を根元に撒きます。この2度は糖度のUPに大きく貢献します。
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 こちらがその生育が遅い巨峰。でも収穫はかなり早い。何故だろー?
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 スチューベン。特にこの作業をすると糖度が増します。あま~いスチューベンジュースを「タンマリ」飲みたいな!でも飲みすぎると糖尿病まっしぐら~!

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 ナイヤガラ。まぁ黄緑色まで熟すと絶品です。
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 そんな訳で芽も大きくなり、此処で米糠をバンバン撒きます。結構使うんだナァ、これが。
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 惜しみなくドンドン撒きます。
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 昨年の肥料も十分吸い込んで今年は先ずは米糠を。


葡萄仕上げ

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 根基に米糠を撒いてから他にする仕事は、一部芽を摘んだり少し追肥をします。
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 1つの枝に4~12芽を残す事が良しとされ、小さい枝なので末端から2番目の芽を摘みます。
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 こんな風に。
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 複芽も摘む対象です。
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 はい、積みました。
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 追肥の基準は「スギナ」が生えている所です。
 写真は生えていたので肥料を追加してかき混ぜた後です。スギナの退治は肥料を多くする事です。
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 追肥で生ごみ肥料を使いきったので
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 カバーはクラウンGS130に仕舞い、タイヤはこの様に積みました。


スズライトキャリーL20他

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今回はスズライトキャリーL20を撮影しました。もう一台はハイゼットですが、遥かに新しいモデルですがかなり朽ちていました。
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 此れのほかあと1枚は撮影地の交通事情の関係で知人に依頼しました。

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 発見は23年前ですが、一見大きく変化が無い様に思えますが、近くから見るとかなり朽ちているみたいでした。サイドガラスが割れている等悲惨です。

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 こちらも発見は20年以上前ですが、もう無くなったと思っていたら、こんな姿で残って居りビックリ!

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 当時はもう少し部品が残って居ましたね。但し定期点検ステッカーの類は当時でも無く下手すると軽自動車車検制度前に廃車???(昭和46年以前?)

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 それでも未だ物置として現役みたいです。
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 此れは最近発見。アンマリ凄いから撮影しました。



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